孫が叔父や叔母と争った事例

介護トラブル

孫が叔父や叔母と争った事例

親の介護について兄弟姉妹間でもめることがありますが、ときに、その兄弟姉妹の子どもが紛争に巻き込まれることがあります。以下ではそんな事例を紹介します。


ひとみは、小さいころからお祖母ちゃんっ子だった。父母は共働きで忙しかったことから、近所に住む母方祖母の家に入り浸っていたのだ。小学校のころも、学校が終わると直接祖母の家に帰り、おやつを食べたり、祖母の話し相手になったりして数時間を過ごし、夜、母親の帰宅時間に合わせてひとみも帰宅する毎日だった。

高校生になる頃には、以前のように祖母宅に入り浸ることはなくなったが、祖母も70代後半に差し掛かっていたため、パソコンの操作が分からないとか、スマホの使い方を教えてほしいとか、重たい買い物につきあってほしいなど、ひとみが手伝ってあげることも増えてきた。

しかし、就職と同時に、ひとみは他県に住むことになった。これまで、月に何回かは祖母に会っていたが、就職後は数か月に1回会えればいい方だった。ひとみは仕事が楽しく、夢中で働いていたが、ある日、母が急死した。まだ55歳と若かったが、突然の脳梗塞で帰らぬ人となったのだ。そして、その半年後、祖母から手紙が届いた。その手紙には、一緒に住んでほしいと書かれていた。

祖母曰く、祖母にとっては娘である母が亡くなってからというもの、一気に体力と気力が低下し、一人暮らしをするのが不安になったが、住み慣れた家を離れて施設に入るのは嫌とのこと。祖母は資産家で、自宅は母屋と離れがある邸宅であるが、ひとみに離れに住んでくれないかというのだ。

ひとみは迷った。仕事は、会社に相談すれば何とか祖母宅に住みながら通える支社に異動させてもらえる可能性が高い。しかし、叔父や叔母がいるのに自分が出しゃばっていいものか気になったし、そもそも、一緒に住むということは、介護やその後の相続など、色々なことが面倒になりそうだという予感もあった。

しかし、昔から祖母が大好きだったひとみは、何より祖母の気持ちを大切にしたいと思い、転居を決意した。

最初の数年は、祖母もまだまだ元気で、特に問題もなく穏やかな時間が経過した。しかし、祖母に認知症の症状が出始めた頃、暗雲が立ち込めた。

ひとみには、叔父のたかしと叔母の恵子がいた。関係性はいたって普通で、あまり頻繁にやり取りをするわけではないけれど、たまに顔を合わせると和やかに話ができる仲であった。

しかし、祖母の認知症が気になり出した頃、介護方針や今後のことを話し合うために集まった際は、何だか緊張感が漂っていた。

たかしは、開口一番、「これまで、母親のそばにいてくれて助かったよ。このままひとみちゃんに頼り続けるわけにはいかないから、これからのことは僕と恵子で考えるよ。」と言うのだ。

ひとみとしては、認知症が進んだ祖母の面倒を見るのは厳しいと感じていたことから、「もう手を引いていい」と言われた安堵もあった。しかし、手のひらを返したようなたかしの態度に何だか腹が立ったし、そもそも、祖母の気持ちが考えられていない気がした。

そのため、「私も仕事が忙しいからどこまでできるか分からないけど、これまでお祖母ちゃんと同居していたのは私だし、今後も協力できることはしたいと思っている。」と伝えた。

そして、今後の介護方針についてたかしに尋ねたところ、「お母さんの認知症の進み具合にもよるけど、早々に施設に入ってもらった方が安全だと思っている。その際、自宅不動産を売却すれば、大概の施設には入れると思うし、その後の介護資金も潤沢に準備できる。」と言うのだ。

ひとみは、その言葉に反応せざるを得なかった。祖母の自宅を売却するということは、当然に母屋と離れは一緒に売却することになるため、ひとみは住むところを失うことになる。また、いつも祖母から「ひとみちゃん、私は施設には入りたくないの。この家で死にたいの。死んだ後は、この家をひとみちゃんに相続してもらいたいの。」と言っていたのだ。

それをたかしと恵子に伝えたところ、二人の態度が豹変した。「それを心配していたんだ!お母さんをそそのかして、財産を手に入れようと思ってるんだな。これからはひとみちゃんの自由にはさせないよ。」と言うのだ。

ひとみにしてみれば、自由にするもなにも、祖母にお願いされ、転居までしてお世話をしていたのに、今になってそんなことを言ってくるたかしと恵子に嫌悪感しかなかった。

ひとみは、帰宅後、祖母の意思を確認したところ、祖母はやはり「自宅にいたい」という考えであったが、一方で、自分でも認知の衰えを感じており、どこまでひとりで暮らせるか不安なようであった。その上、ひとみに頼ってきた半面、自分の子どもであるたかしや恵子への愛情ももちろんあり、2人に世話になれるなら、それもありがたい話だと思っている節が見てとれた。

ひとみは、これまで、祖母が望むならそばにいてやりたいという気持ちで同居していたが、たかしや恵子が口や手を出そうとしていること、それを受けて祖母もまんざらではない様子であることを目の当たりにして、急に「面白くない」と感じている自分に驚いた。

何か見返りを期待していたわけではないけれど、心のどこかで「将来の相続で見返りがあるはず」と期待していたのかもしれないと気付いた。

祖母の財産は、不動産がほとんであり、預貯金は微々たるものしかないことを知っていた。そのため、将来的には、その不動産を売却し、3人の相続人で3分の1ずつ取得することになる。もちろん、それでいいのだが、現時点でたかしや恵子がひとみをけん制するような動きをしてきたことに腹が立ったのだ。

一方、たかしと恵子は何を考えていたのだろうか。実は、二人は母親の認知症が進んできたかもしれないという情報を受け、二人で話し合っていたのだ。その話し合いの中で、「このままだと、ひとみが母親に自分に有利な遺言書を書かせかねない。」もしくは「ひとみが介護に対して何らかの見返りを求めてくるかもしれない。」という話になったのだ。

結果はどうなったのであろうか。

たかしと恵子に「手を引け」と言われたひとみは、当初は「面白くない」という感情をいただいたものの、争うのも馬鹿らしくなり、祖母の元を去った。一方、たかしと恵子は、相続財産を心配してひとみに「手を引け」と言ったわけだが、きめ細やかに母親の面倒を見るつもりは最初からなかった。そのため、ひとみが去った後、母親はしばらく1人暮らしを余儀なくされた。そして、認知症が進み、いよいよ一人暮らしは難しいとなった段階で、自宅を売却し、本人の意見も聞かずに手ごろな施設に入所させた。

自宅の売却益など、本人の財産はたかしが管理するしていたが、たかしの使い込みが発覚し、たかしと恵子も決裂した。


ポイント1

子どもと孫の立場の違いが争いになることも

このケースでは、ひとみは「孫」であり、たかしと恵子は「子」です。この立場の違いによって、連合が組まれ、少数派の立場が弱くなるということがあります。ひとみは孫ですので、「子」の立場に比べ、祖母との関係が薄いとみなされることもあります。

ポイント2

認知症の進行を機に親族関係が悪化することも

このケースでは、祖母の認知症が進行し始めたことをきっかけにたかしと恵子が口出しをし始めています。このように、身上監護(身の回りのお世話)のみが必要な場合は知らんぷりをしていても、認知症が進み、財産管理が心配になってきた段階で横やりを入れてくる親族がいます。

ポイント3

介護を継続するうちに、知らず知らずに「見返り」を求めがち

ひとみは、当初は純粋に祖母のために同居していたはずですが、いつの間にか相続の際の見返りを期待する気持ちがあったことに気が付いています。長期間にわたる介護の負担は軽くなく、どうしたってそのような気持ちが芽生えてきます。

ポイント4

今日の味方は明日の敵

たかしと恵子は、「対ひとみ」のときは連合を組みましたが、最終的にはたかしと恵子も決裂しています。ひとみという敵が去った後、二人をつなぐものがなくなり、さらに、純粋な気持ちから介護を担っていなかった場合、たかしのような行動に出てしまうのです。

高級介護ベッドの購入で紛糾したケース

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高級介護ベッドの購入で紛糾したケース

佐藤家では、高齢の父親が認知症を患い、日常生活の管理が困難になってきた。母親はまだ存命であったが、既に90歳を超え、認知症の父親の介護をできる状態ではなかった。そのため、三人兄弟の長男、健一が父親の財産と日々の金銭管理を担当することになった。健一としては、日々の生活に終われる中で、これ以上仕事を増やしたくなかったが、長男である責任感もあり、渋々役割を買って出ることにした。

健一は経済的に厳格で、父親の資産を保守的に管理していた。彼は、父親の貯金を使うことに対して非常に慎重で、父親の介護に関する出費も最小限に抑えようとした。これに対して、三男の英輔は、父親により良い介護を受けさせるためには、もっとお金を使うべきだと主張した。英輔は、高品質の介護サービスやリハビリテーション、趣味活動など、父親の生活の質を高めるための出費を提案した。

いつもの健一は、とてもおおらかで心も広い。そのため、自分と考え方が違う人がいても、「違う人間なんだから、違って当たり前」という態度で受け入れることができた。弟たちとの関係においても、長男らしくバランスを取ったり、弟たちのわがままを聞いてやることが多かった。

しかし、父親の介護の問題に関しては、自分自身が大きな犠牲を払いながらやっていることもあり、それに対する批判を許容できなかった。

そもそも、二人の考え方が大きく異なるのは、それなりに理由があった。それぞれ、育ってきた環境や現在の生活状況が大きく異なるのだ。

健一は、高校や大学に進学する際、「後ろにまだ2人いる」という理由で、いつもなるべくお金のかからない選択を迫られていた。高校受験の際は、私立に行くお金はない、必ず公立に合格しなければというプレッシャーがあった。大学に通う際も、奨学金をもらって何とか卒業した。現在の生活においても、妻は専業主婦で子どもが2人いる状況では、いくら健一が稼いだところで、お金はいくらも貯まらなかった。

一方、英輔は、高校から私立にい通わせてもらい、大学の費用も全て出してもらった。まだ結婚しておらず、自分の給料は全部自分で使える身であり、生活に余裕があった。

そんな二人であるため、どうしたって金銭管理にずれが出てくるのだ。

一方で、もう一人の弟、二男の浩二は、父親の財産を将来の相続を見越して保持すべきだと考えていた。浩二は、健一が管理する父親の財産の詳細について常に疑念を抱き、健一に対して財産の明細や支出の報告を求めた。

ある日、英輔は、父親のために高級な介護ベッドを購入する提案をしたが、健一はこれを却下した。これに激怒した英輔は、健一が父親の利益よりも自分の財政的な安全を優先していると非難し、家族会議を開くよう要求した。

家族会議と言っても、集まるのは兄弟3人である。その会議の場で、全員が「お父さんのためには」という枕詞を使ってそれぞれの主張を繰り返した。

すなわち、健一は、「父親には今後何があるか分からない。お金を無駄遣いせず、万が一のときに備えておくのがお父さんのためだ。」と主張する。

一方、英輔は、「お父さんの財産を考えると、そんなに節約しなくても将来はそんなに心配ではない。むしろ、今の生活をより快適にしてあげることがお父さんの幸せにつながる。」と主張。

そして、二男の浩二は、「お父さんは認知症なんだから、優先すべきはこれから先の人生が長い僕たちじゃないかな。お父さんもそれを望んでいると思うよ。」と相続財産を守る方向を示唆。

 

家族会議という名の3人の言い合いは、紛糾して終了した。当たり前である。それぞれが自分の主張を言い合うだけで、そこには何の基準や調整軸もないのだ。

物別れに終わった後、英輔は自費で父親に高級ベッドを購入した。しかし、そのベッドを使用させまいとする健一との間で、ひと悶着あった。

このように、一事が万事、父親のことを何か決める必要がある度に、3人は互いにそれぞれの主張を繰り返し、紛争性を高めていった。


ポイント1

渋々介護を担っているものは不満に敏感

「自分が一番お世話になったから」、「自由な時間があるのは自分だから」、そんな理由で前向きに介護に取り組める場合はいいのですが、「長男だから仕方がない」、「本当は負担が重いけど、誰もやらないから仕方がない」そんな気持ちで介護を行う人は、周囲のちょっとした批判や非協力的な態度にとても敏感です。

この事例の健一も渋々介護を担っていることもあり、考え方の違う英輔の言葉が非難のように受け取られ、柔軟に考えることができなくなっています。

ポイント2

過去の養育が介護に影響する

相続の際、被相続人である親にどれだけお金をかけてもらったかで争うことがあります。例えば、長男は留学をさせてもらい、結婚の際、お祝い金もたくさんもらった。一方、弟である二男は公立の高校を出ただけで、結婚もまだしていないという場合に、「お兄ちゃんは散々お金をかけてもらったんだから、相続は自分が多めにもらいたい」などといった主張です。

多くの場合、親がえこひいきした結果ではなく、それぞれの子どもの生き方の違いだったりするのですが、当事者にとっては、金銭的な差異が気になり、不平等な気がしてしまうのです。

今回は、まだ相続には至っていませんが、介護も同様に「親にこれだけしてもらった」という感覚が介護に対する姿勢に影響を及ぼしています。誰しも、「たくさんやってもらった」という感覚があってはじめて、前向きに介護に取り組めるのではないでしょうか。

ポイント3 

生活状況・経済状況の差が紛争を大きくする

介護や相続に限らず兄弟姉妹間では常に互いの経済状況に対する妬みや羨ましさが存在します。

幼少の頃は同じ親のもとで育ち、同じ経済状況の中生活をしているわけですが、その後、どんな仕事に就くのか、誰と結婚するのか、そういったことで大きく家庭環境や経済状況が変わってきます。

そのため、親族で食事会をするときも、少し高級なところを予約すると「あなたのところはお金に余裕があっていいわね」という嫌みを招くことになったり、経済的に恵まれているきょうだいに合わせるのが大変だったりということがあります。

今回の事例でも、長男と三男の経済状況を比べてみると、独り身の三男は自由になるお金が長男に比べて多いと言えます。そうした日常生活における金銭感覚の差が介護の場面で顔を出すことがあります。

 

施設入所で孫が争ったケース

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施設入所で孫が争ったケース

伊藤家では、87歳の祖母芳江が転倒してから介護が必要になり、最近、地元の介護施設に入所した。ようやく入れた施設は、費用が安い代わりに、親族がやらなければならないことがたくさんあった。

例えば、スタッフの人数が十分でないため、施設外に散歩に連れていってくれることもなかったし、病院通いも親族が付き添わねばならなかった。

しかし、芳江は離婚していたため、介護をしてくれる夫はいない。また、一人娘である晶子も既に67歳で病気がちであったため、二人の孫が中心となって介護をしていた。

孫の一人である裕子は定期的に施設を訪れ、祖母の様子を見ていたが、裕子は施設の介護の質に次第に不満を抱くようになった。

ぎりぎりの人数で回しているようで、スタッフは常に忙しそうで、ゆったりと話ができる状況ではなかった。また、老朽化した施設は何とも言えない「臭い」がこびりついていて、滞在していると気が滅入った。

一方、裕子の兄である健太郎は、施設のケアに満足していた。彼は、施設が新しくはないものの、清潔で整頓されていると感じたし、スタッフもてきぱきと動いていて、信頼できる施設だと思っていた。

裕子と健太郎は祖母の入所施設を巡って意見が衝突した。裕子は、祖母の介護の質の向上を求め、必要ならば施設を変更することも提案した。しかし、健太郎は施設の変更は祖母にとってさらなるストレスになると反対し、現状維持を主張した。

裕子にしてみれば、金銭的な余裕が十分にある祖母に、これまで頑張ってきた人生の締めくくりにふさわしい素敵な施設で過ごしてほしいと思っていた。そして、健太郎に対しては、将来の相続(祖母はふたりの孫と養子縁組をしていた)ほしさに施設料をけちっているのではと感じていた。

一方、健太郎にも言い分があった。高齢で怪我をしている祖母を短期間で施設を移動させるのは酷だし、高級な施設に入れてあげたいと思っているのは裕子のエゴで祖母自身は変化を望んでいないと感じていた。

この後、状況はさらに複雑化した。芳江自身も施設に不満を感じ始めたのだ。祖母は裕子に「スタッフが無視している」と訴え、裕子はさらに施設に対する不信感が募った。しかし、この事実を知った健太郎は、祖母の不満が裕子の影響であると考え、裕子に対してさらに怒りを覚えた。

こうした対立が深まる中、裕子は、健太郎の同意なく祖母を退所させ、別の高級老人ホームに入所させた。激怒した健太郎は、その高級老人ホームに現れ、祖母を連れ戻そうとするなど、大騒ぎとなった。

この一件によって、祖母芳江はその高級老人ホームには居づらくなり、結局退所を余儀なくされた。行くところがなくなった芳江は、自宅に戻るしかなく、利用限度額ぎりぎりまで介護サービスを利用し、何とか生活していくことになった。

祖母芳江にとっては、数か月の間に居所を転々とさせられ、また、孫の紛争の様子も目の当たりにし、すっかり心身ともに弱ってしまった。2人の孫は、どちらも祖母のためによかれと思ってやっていたことがもめごととなり、結果として、祖母の心身の健康を害することになってしまった。


ポイント1 

介護方針の違いが紛争をよぶ

裕子と健太郎は、いずれも祖母芳江のために良かれと思って動いており、どちらの考えも間違っているとは言えません。しかし、二人ともが「自分は正しい。相手が間違っている」と考えており、結果として紛争性が高まっています。

ポイント2

関係悪化が疑心暗鬼を招く

裕子は、健太郎は将来の相続において自分の取り分が少なくなることを懸念して施設代を渋っているのではと疑心暗鬼になっています。一度相手に悪い感情を抱いてしまうと、何もかもを悪い方向に考えたり、非難したりしてしまいます。

ポイント3

親族の争いが本人の健康状態を悪化させる

介護は、親族が円満に協力しあってこそ成り立ちます。しかし、その協力関係が崩れ、争いに発展してしまうと、結果として本人の心身の健康を害してしまうことがあります。これが、介護をめぐる親族間の争いの一番悲しい結末です。

4人の兄弟姉妹がいても長女に負担が集中した事例

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4人の兄弟姉妹がいても長女に負担が集中した事例

大阪に住む中村家では、母親の晴美が高齢となり、日常生活のサポートが必要になった。晴美の夫は10年以上前に他界しており、晴美はずっと独居で頑張ってきたが、さすがに90歳を超えると、何かと忘れっぽくなり、日常生活に必要な最低限の動きも困難になってきたのだ。

晴美には四人の子どもがいたが、長女の真理がほぼ全ての介護を行うこととなった。近くに住んでいることが大きな原因だったが、何となく「長女だから」という周囲の圧力も感じていた。真理は仕事を減らし、母のために日々の世話や病院の通院を行っていたが、この状況が家族間の深刻な紛争の原因となってしまった。

真理の下には長男の秀樹と二女の美紀、そして二男の大輔がいた。しかし、秀樹と美紀は、介護の責任を共有する意欲がほとんどなかった。秀樹は仕事が忙しいとの理由で、美紀は自分には介護の経験がないとして、母の世話から距離を置いていた。一方、介護の負担を共有すべきは言うものの、具体的な行動には移らなかった。

そんな状況の中、真理は、心身ともに追い込まれていった。当初は、長女としての責任感や、これまで母に育ててもらった恩返しの気持ちもあり、積極的に介護に取り組んだし、ほかのきょうだいが非協力的でも気にならなかった。

ただ、仕事を減らしたとしても、毎日のように母の家に通うのは体力的にとてもきつかった。その上、仕事を減らしたことで収入が減ったことも大きかった。真理には夫がいたので、家計に困ることはなかったが、そうまでして介護をしているのに、ほかのきょうだいの協力がないのが輪をかけて辛かった。

ある日、真理は家族会議を開き、介護の責任分担について話し合うことを提案した。このままでは、自分の気持ちと体力が崩壊してしまうと感じたからだ。

しかし、この会議は感情的な論争に発展した。秀樹と美紀は、口では、「姉さんに負担ばかりかけて申し訳ない。感謝している。」というものの、具体的な協力を依頼するととんでもないことを言い始めたのだ。

すなわち、母親の介護のために仕事を減らしたようなことを言っているが、もともと仕事が辛いから辞めたいと言っていたはずだとか、真理はその分母親から金銭的な援助を得ているのではないかとか、そういったことを言い始めたのだ。

それを聞いて、真理は我慢の限界がきた。普段穏やかな真理であるが、弟や妹の身勝手な想像に耐えられなかったのだ。真理は、感情をコントールできず、自分でも驚くような声でまくしたて、そして涙も止まらなかった。

その一件以来、真理は孤立し、弟や妹と連絡を取らなくなった。そうは言っても、だれも母を介護する者がいないため、結局のところ、真理が1人で支えざるを得なかった。そんな中、真理はADRの存在を知り、申し立てるに至った。


ポイント1

きょうだいが多ければいいという訳ではない

この事例では、4人もきょうだいがおり、介護や金銭の負担を分担すれば、ひとりの負担が減らせるようにも思われます。確かに、円満に話合いができれば、負担の分散が可能ですが、一度もめてしまうと、きょうだいが何人いても関係がなかったりします。

ポイント2

最初に役割を買ってでた人の負担が続く

親の介護が始まったとして、そのタイミングで家族会議を開き、しっかりと役割分担を話し合える家族というのはあまりありません。

多くは、近くに住んでいるもや、手が空いているものが「とりあえず」ということで介護を開始します。しかし、その役割がいつの間にか固定してしまい、分担をお願いすると、「介護に不慣れ」というような理由で押し付けられたりするのです。

ポイント3

孤立した者が悪者扱いされがち

親族間の紛争は、常に複数の争いになっていることが多いものです。例えば、2人きょうだいの場合、常に1対1のように思われますが、周囲にいる叔父叔母や祖父母などが、「どちらかというと〇〇寄り」といった援軍になることも多かったりします。そうした複数人が参戦してくる争いにおいて、当たり前ですが孤立すると分が悪く、悪者にされてしまったりします。

ポイント4

お金がもめごとのきっかけになる

この事例でも、仕事を減らしたことで収入が減るというデメリットが長女に生じていました。もちろん、体力的な負担もそうですが、金銭的な負担が大きくなると、感情が悪化し始めます。