大阪に住む中村家では、母親の晴美が高齢となり、日常生活のサポートが必要になった。晴美の夫は10年以上前に他界しており、晴美はずっと独居で頑張ってきたが、さすがに90歳を超えると、何かと忘れっぽくなり、日常生活に必要な最低限の動きも困難になってきたのだ。
晴美には四人の子どもがいたが、長女の真理がほぼ全ての介護を行うこととなった。近くに住んでいることが大きな原因だったが、何となく「長女だから」という周囲の圧力も感じていた。真理は仕事を減らし、母のために日々の世話や病院の通院を行っていたが、この状況が家族間の深刻な紛争の原因となってしまった。
真理の下には長男の秀樹と二女の美紀、そして二男の大輔がいた。しかし、秀樹と美紀は、介護の責任を共有する意欲がほとんどなかった。秀樹は仕事が忙しいとの理由で、美紀は自分には介護の経験がないとして、母の世話から距離を置いていた。一方、介護の負担を共有すべきは言うものの、具体的な行動には移らなかった。
そんな状況の中、真理は、心身ともに追い込まれていった。当初は、長女としての責任感や、これまで母に育ててもらった恩返しの気持ちもあり、積極的に介護に取り組んだし、ほかのきょうだいが非協力的でも気にならなかった。
ただ、仕事を減らしたとしても、毎日のように母の家に通うのは体力的にとてもきつかった。その上、仕事を減らしたことで収入が減ったことも大きかった。真理には夫がいたので、家計に困ることはなかったが、そうまでして介護をしているのに、ほかのきょうだいの協力がないのが輪をかけて辛かった。
ある日、真理は家族会議を開き、介護の責任分担について話し合うことを提案した。このままでは、自分の気持ちと体力が崩壊してしまうと感じたからだ。
しかし、この会議は感情的な論争に発展した。秀樹と美紀は、口では、「姉さんに負担ばかりかけて申し訳ない。感謝している。」というものの、具体的な協力を依頼するととんでもないことを言い始めたのだ。
すなわち、母親の介護のために仕事を減らしたようなことを言っているが、もともと仕事が辛いから辞めたいと言っていたはずだとか、真理はその分母親から金銭的な援助を得ているのではないかとか、そういったことを言い始めたのだ。
それを聞いて、真理は我慢の限界がきた。普段穏やかな真理であるが、弟や妹の身勝手な想像に耐えられなかったのだ。真理は、感情をコントールできず、自分でも驚くような声でまくしたて、そして涙も止まらなかった。
その一件以来、真理は孤立し、弟や妹と連絡を取らなくなった。そうは言っても、だれも母を介護する者がいないため、結局のところ、真理が1人で支えざるを得なかった。そんな中、真理はADRの存在を知り、申し立てるに至った。
ポイント1
きょうだいが多ければいいという訳ではない
この事例では、4人もきょうだいがおり、介護や金銭の負担を分担すれば、ひとりの負担が減らせるようにも思われます。確かに、円満に話合いができれば、負担の分散が可能ですが、一度もめてしまうと、きょうだいが何人いても関係がなかったりします。
ポイント2
最初に役割を買ってでた人の負担が続く
親の介護が始まったとして、そのタイミングで家族会議を開き、しっかりと役割分担を話し合える家族というのはあまりありません。
多くは、近くに住んでいるもや、手が空いているものが「とりあえず」ということで介護を開始します。しかし、その役割がいつの間にか固定してしまい、分担をお願いすると、「介護に不慣れ」というような理由で押し付けられたりするのです。
ポイント3
孤立した者が悪者扱いされがち
親族間の紛争は、常に複数の争いになっていることが多いものです。例えば、2人きょうだいの場合、常に1対1のように思われますが、周囲にいる叔父叔母や祖父母などが、「どちらかというと〇〇寄り」といった援軍になることも多かったりします。そうした複数人が参戦してくる争いにおいて、当たり前ですが孤立すると分が悪く、悪者にされてしまったりします。
ポイント4
お金がもめごとのきっかけになる
この事例でも、仕事を減らしたことで収入が減るというデメリットが長女に生じていました。もちろん、体力的な負担もそうですが、金銭的な負担が大きくなると、感情が悪化し始めます。