臨終婚ー超高齢親の再婚に伴う相続トラブル


Aさんは東北の小都市に住む資産家であり、妻と二人で敷地300坪の自宅で穏やかに暮らしていました。

Aさん夫婦には東京に住む一人娘のBさんがいました。Bさんはバツイチで、二人の娘がいましたが、いずれも親権者となった元夫と暮らしており、自身は上場会社の役員として忙しい日々を送っていました。

Aさんの自宅の隣にはAさんが貸している借家があり、花屋を営む花好きの夫婦が二人の息子と一緒に住んでいました。二人の息子はいずれも地元の企業に就職し、結婚を機に家を出て社宅で暮らすようになりました。

その後、花屋の夫婦の夫が亡くなり、花屋も畳むこととなり、借家には妻のCさんが一人残されましたが、二人の息子たちが妻や孫を連れてよく遊びにくるため寂しくはありませんでした。

Aさんが傘寿を迎えた頃、Aさんの妻が亡くなりました。四十九日の法要を終えた後、Bさんは実家の隣に住むCさんに対し、

「これから父は一人暮らしとなります。もし父に何かありましたらこちらに連絡をお願いします。」

と言ってBさんのスマホの電話番号を書いた紙を渡しました。

 

Bさんは、母が亡くなってから半年くらいの間は月に一度の割合で、Aさんの様子を見るために半日かけて列車を乗り継ぎ実家に帰っていました。

しかし、会話も弾まず、だんだん実家に帰るのが億劫になってきました。

あるときAさんがBさんの面前で大小入り混ぜて粗相をしたため、Bさんは、その始末をしながらバリキャリの自分がなんでこんなことをしなければならないんだと思い、以後、Aさんが亡くなるまで実家に帰ることはありませんでした。

一方、CさんはAさんのところに春になるとイベリスの花を持っていき、秋になるとピンクのデンファレの花を持っていき、冬になると風邪予防に林檎を持って行きました。

BさんもAさんからの電話でAさんがCさんから花や林檎を貰っていることを知っていましたが、Aさんからの電話を鬱陶しく思っていたため、うわの空で聞いていました。

そのため、Cさんの行為に深い意味があるなどとは露ほどにも思っていませんでした。

また、Bさんの電話での話し方から、AさんはBさんが自分を疎ましく思っていることが容易に分かったため、実家に顔を出して欲しいとはとても言えず、孫たちにも長い間会っていませんでした。

Aさんは、子や孫が遊びに来るCさんを羨ましく思い、Bさんに嫌われている我が身を悲しみ、夜、枕を涙で濡らすこともありました。

やがて月日は流れ、Aさんは米寿を迎えました。そんなある日の午前5時、突然、CさんからBさんのスマホにAさんの死を知らせる電話がかかってきました。

聞けば、前日の昼過ぎ、Cさんは庭先で倒れているAさんを見つけて救急車を呼び病院まで付き添ったこと。

夕方になってAさんの容態が急変したため、Cさんは病院に泊りAさんの回復を祈るも未明に亡くなったとのことでした。

Bさんが布団の中で眠い目を擦りながら取り急ぎ礼を言ったところCさんから耳を疑うような言葉が返ってきました。

妻として当然のことをしたまでです。

びっくりしたBさんは布団から這い出し、顔も洗わず、点在するシミをコンシーラーで消すこともせず、すっぴんのまま家を飛び出し、列車を乗り継ぎ、昼過ぎになってようやくAさんが入院していた病院にたどり着きました。

Bさんは霊安室のAさんに手を合わすのもそこそこに病院中隈なくCさんを探し回ったところ、談話室でニコニコ笑ってテレビを見ているCさんを見つけました。

そこでBさんがCさんから聞いた話によると、CさんとAさんの関係は世間話をする程度であり、Aさんを男性としては見ていなかったこと。

ただ、Cさんと話をするときのAさんの目が初めて恋をするときの少年のような熱い眼差しであったのが印象に残っていることでした。

そして、1か月前、突然、Aさんから、親しくしてくれたお礼としてCさんに遺産の半分をあげたい、将来、二人の息子さんに家でも買ってあげればと言われ、いつ市役所に出してもいいよと言ってAさんの署名のある婚姻届の用紙を渡されたことでした。

Aさんの話では、婚姻届の証人欄の署名はディサービスに行ったとき、そこに来ていた老夫婦に頼んで書いてもらったとのこと。

Cさんは、Aさんの気持ちのこもった婚姻届の用紙はいつも大事に持ち歩いていたといいます。

そして、昨日夕方、Aさんの容態が急変したときAさんの厚意を無にしてはいけないと思い、Cさんは病院を抜け出し、婚姻届の用紙に署名して市役所に提出したとのことでした。

Cさんの話を聞いたBさんは遺産狙いの臨終婚と確信するに至り、「遺産目当てで入籍して人として恥ずかしくないのか。」とCさんを非難しました。

すると、Cさんは「遺産をくれると言ったのはAさんです。婚姻届の用紙もAさんから渡されたものです。私はAさんの思いに応えてあげたのです。それが何か問題でも。」と反論し、Bさんを挑発しました。

当然、Bさんの怒りは沸点に達しました。ちょうど談話室のテレビから女将さんに扮した女優がCMで「そこに愛はあるんか?」と語りかけていました。BさんはCさんを睨みつけ「あんたのやってることは後妻業と同じだ!そこに愛はあるんか!」と罵倒しました。

するとCさんは「それはこっちのセリフです。ずっと実家に帰らず、年老いたAさんを放置したあなたこそ、父親への愛はあるんですか!どうなんですか!」と力強く言い返しました。

弱いところを突かれたBさんは言い返す言葉が見当たらず「うー、うー。」と呻くばかりでした。

それを見たCさんはBさんに向かって「『ぐう』の音も出ないといったところかしら。」と勝ち誇ったように言いました。

後日、Bさんは知りました。イベリスの花言葉が「初恋の思い出」、「甘い誘惑」であり、ピンクのデンファレの花言葉が「官能」、「誘惑」であり、林檎の実に隠された言葉が「誘惑」と「後悔」であるということを。


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夫婦の一方もしくは夫婦の双方が亡くなる直前にする婚姻を臨終婚といいます。

そして、相続において紛争が生じるのが余命いくばくもない病者と健康な者との臨終婚であり、およそ結婚生活を送ることは想定されず、健康な者は婚姻後間もなく病者の遺産を取得することになります。

具体的には故人の相続人が配偶者と故人の子どもの場合、配偶者の相続分(法定相続分)は2分の1、故人の相続人が配偶者と故人の父母の場合、配偶者の相続分は3分の2、故人の相続人が配偶者と故人の兄弟姉妹の場合、配偶者の相続分は4分の3となります。

このため、親と疎遠になっていた子どもが、親が亡くなった後に親の新しい伴侶の存在を知り、遺産をめぐって泥沼の争いが生じることがあります。

確か酒造メーカーの昔のテレビCMのコピーに「恋は遠い日の花火ではない」というのがありましたが、老いた親を疎ましく思って距離を置いていると、老親が心の拠り所を身近な異性に求めて新しい伴侶にしようとすることがあります。

周囲の者がそのことを知ったとしても止めることはしないでしょう。そんなことをしたら馬に蹴られてしまいます。

純粋な愛の証としてなされる臨終婚も現実に存在します。ただ、子どもであれば親に的確な助言をすることもできます。そのためにも親と離れていても交流を続け、親の交友関係を把握することが大切といえます。

亥神家の一族 子どものいない夫婦の相続は要注意


日本の山間部の風光明媚な猪籠草村(うつぼかずらむら)の湖畔に亥神家(いのがみけ)という由緒正しき一族が住んでいました。

大正時代、亥神家の本家の戸主の亥神瓜乃介(うりのすけ)は結婚し、昭和の初めにかけて五男一女をもうけました。これから話すAさんは瓜乃介の五男坊であり、姉の亥乃子(いのこ)と年子であったこともあり、いつも亥乃子から可愛がられておりました。

そんなAさんでしたが戦後まもなく上京し、東京生まれ東京育ちの同い年のB子さんと恋に落ちて結婚し、馬車馬のように働き財をなし、成城に購入した一軒家で夫婦仲良く暮らしておりました。夫婦には子どもはいませんでした。

Aさんは90歳で天寿を全うしました。むろんAさんの両親(瓜乃介夫婦)はとうに亡くなっています。B子さんは、Aさんの相続について自分以外にAさんの兄弟姉妹も相続人になることは知っていました。

ただ、Aさんの兄弟姉妹で健在なのは105歳になる長兄の亥左衛門(いのざえもん)とAさんの葬儀に来てくれた姉の亥乃子だけであり、他の男兄弟3人は既に他界していました。

B子さんは自分以外の相続人は亥左衛門と亥乃子だけであり、老い先短い亥左衛門が夫の遺産についてとやかく口を出すことはあるまい、亥乃子も葬儀のときB子さんにとてもやさしく接してくれたので、夫の遺産をよもや分けて欲しいなどと言うまいと楽観視していました。

そもそも、夫名義の成城の一軒家も多額の預金も夫婦で頑張った成果だから、すべて自分が相続しても誰からも文句は出まいと思っていました。

しばらくして、B子さんは亥左衛門や亥乃子と相続の話をするために何十年ぶりかに猪籠草村を単身訪ねました。明治時代に建てられた亥神家の広大な屋敷はそのまま残っており、亥左衛門一家の四世代が住んでいました。

B子さんが屋敷の廊下を歩きながら窓の外の湖を見たとき、ふと昔Aさんと見た映画を思い出しました。

その映画は名探偵金田一耕助が湖畔にそびえる屋敷で起こった連続殺人事件を解決するというものであり、頭部をピッタリと覆う白いゴムマスクを被った佐清(スケキヨ)という男が湖から逆さに両足を突き出して死んでいる場面が強烈に印象に残っていました。

亥左衛門は遠くから来たB子さんをねぎらうために沢山の御馳走と地元の美酒を用意してくれました。

しかし、ご機嫌になったB子さんがAさんの遺産を単独で相続したいと話したところ亥左衛門の顔色が一変しました。

亥左衛門はB子さんに対し、次のように滔々と語りました。

「末弟は亥神家の人間だ。末弟の財産は本来亥神家のものだ。B子さんがすべて相続したら、B子さんが亡くなった後、亥神家の末弟の財産はB子さんの一族のものになってしまう。こんな不合理は認められない。

それに、末弟の相続人は他にもたくさんいる。亡くなった3人の弟にはそれぞれ3人の子がいる。この9人の甥や姪も末弟の相続人(代襲相続人)だ。9人のうち6人は北は稚内から南は西表島まで全国に散らばっており、残りの3人はコンゴ、キルギス、ボリビアにいる。

さらに父の瓜乃介は艶福家であり、6人の愛人との間に合計20人の子をもうけた。この20人の子は自分や亥乃子や末弟の異母兄弟であり、いずれも末弟の相続人となる。20人の子のうち既に亡くなっている者がいれば、その者の子が相続人(代襲相続人)となる。しかも、困ったことにこの20人の子の消息が全くわからんのだ。」

B子さんは亥左衛門の話を聞いているうちに徐々に絶望的な気持ちになり、酒の酔いも手伝って意識が遠のき、朦朧とした状態のまま亥左衛門の家人らに抱えられて薄暗い奥座敷で寝かされました。

一方、亥乃子は一日の終わりのルーティンとしてエイジングケアのため韓国から取り寄せた目の部分がくり抜かれた白色のフェイスパックをしていました。亥乃子はB子さんの様子を伺いに奥座敷を覗き込みました。襖を開ける音で目覚めたB子さんの視界には目玉がギラギラ光る真っ白い面を被った人間の姿が飛び込んできました。驚愕したB子さんは「ス、ス、スケキヨ」と叫んで気を失ってしまいました。


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子どものいない夫婦の一方が亡くなり、故人の両親や祖父母も既に他界している場合は、故人の配偶者と故人の兄弟姉妹が相続人となります。

そして、配偶者が遺産の4分の3を取得し、残りの4分の1を故人の兄弟姉妹で分けることになります。兄弟姉妹の中に既に亡くなっている人がいれば、その人の子(故人の甥や姪)が相続人(代襲相続人)となります。

なお、相続人が兄弟姉妹の場合、代襲相続は一度のみであり、兄弟姉妹の子も亡くなっている場合は、兄弟姉妹の子の子(孫)が相続人となることはありません。また、故人の異母兄弟(姉妹)や異父兄弟(姉妹)を半血といい、故人(被相続人)と父母を同じくする兄弟(全血といいます)の半分の相続分となります。

したがって、故人に兄弟姉妹がいれば故人の配偶者が相続手続を進めようとしたとき、故人の兄弟姉妹やその子らとの間で相続についての話し合いをせざるを得なくなり、多くの時間と労力を要し、ときには耐え難いストレスを感じることとなります。

実際、故人の配偶者が親戚づきあいもなければ会ったこともない故人の兄弟姉妹やその子らと相続について長年にわたって争った事例は珍しくありません。ただ、このような事態は極めて簡単な方法で回避することができます。

それは子どものいない夫婦が互いに財産のすべてを相手方に相続させる旨の遺言をすることです。

遺言の効力は絶対です。

相続人全員が同意しない限り遺言と異なる内容の遺産分割をすることはできません。さらに、兄弟姉妹には遺留分(兄弟姉妹以外の相続人には相続財産について一定割合の承継が保障されており、これを遺留分といいます)はありませんので遺言をしたからといって、後で遺留分相当の金銭を請求されるおそれもありません。

当センターでは、遺言書作成のお手伝いも行っておりますので、ぜひご相談ください。

ごん狐じゃなかったのね。遺産分割協議は慎重に!


A子さんには2人の男の子がいました。A子さんが2人目の子を妊娠中、A子さんの夫は職場の新入社員を指導中にその女性とのっぴきならない関係となりました。A子さんは2人目の子を産んで間もなく夫と離婚し、2人の男の子の親権者となり、苦労の末、2人の男の子を育てあげました。

成人した2人の男の子はそれぞれ伴侶を見つけてA子さんのもとを巣立っていきました。この頃、A子さんの両親が相次いで他界し、一人娘であったA子さんは両親から莫大な遺産(時価数億円)を相続しました。

さて、二男はB子さんと結婚し、C子さんが生まれたものの、間もなく二男は若くして病でこの世を去り、B子さんは一人でC子さんを育てていくことになりました。

幼いC子さんは、昔話が大好きで、特に「ごん狐」がお気に入りでした。村の人にいたずらばかりしていた小狐の「ごん」。ある日、いたずらによってある村人に取返しのつかないことをしてしまいます。そして、そのことを悔いて栗や松茸をその村人に届けるようになったというお話です。

一方、女癖の悪い長男は、妻から離婚を求められ、さんざんあがいた末に子どもらの親権者を妻と定めて離婚しました。

長男は、二男が亡くなった後、ときどきB子さんの家を訪ねては勝手に冷蔵庫の中のスイーツを食べたり、ふざけてB子さんのお尻を触ったり、くだらないいたずらばかりしていたのでB子さんやC子さんから鬱陶しがられていました。

C子さんが成人して間もなくB子さんが病気で亡くなりました。その翌年にはA子さんが天寿を全うしました。喪主となった長男はA子さんの葬儀や49日の法要の席で人が変わったかのようにC子さんに優しく接しました。

その後、しばらくして、C子さんを訪ねてきた長男は神妙な顔で「弟が生きていれば、弟は母さんの遺産を相続できたのに、亡くなってはそれもかなわない。それではあまりにも不憫なのでC子ちゃんに1000万円をあげるよ。この書面に実印を押しておくれ。」と言って遺産分割協議書と書かれた書面を差し出しました。

C子さんが実印を持っていないと言うと長男はC子さんの手に5万円を握らせて「これで実印を作って印鑑登録をしておくれ。」と言って、遺産分割協議書と書かれた書面を置いて帰っていきました。

あっけにとられたC子さんは「ごん狐の話みたいだ。」と思いました。これまでC子さんやお母さんのB子さんに嫌がらせばかりしていた長男が急に優しくなったからです。

嬉しくなったC子さんは早速ロースクールに通っている恋人に、ごん狐おじさんから1000万円を貰えることを話しました。

ところが予想に反し恋人は血相を変え「C子ちゃん、君は騙されているんだ。君はれっきとした相続人だよ。お婆ちゃんの遺産の半分を相続できるんだよ。絶対、遺産分割協議書に実印を押したら駄目だ!」と強く言い、代襲相続についてわかりやすく説明してくれました。それを聞いたC子さんは「ごん狐じゃなかったのね。」とポツリとつぶやきました。

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故人(被相続人)の子が故人よりも先に亡くなっている場合、故人の子の子(故人の孫)が相続人(代襲相続人)となります。故人の子(既に亡くなっている)の相続分(法定相続分)が2分の1の場合、孫の相続分も2分の1、孫が2人いればそれぞれの相続分は2分の1のさらに2分の1、すなわち4分の1ずつとなります。これを代襲相続といいます。

狡猾な年配の相続人が相続分以上の遺産を掠め取ろうとし、世事に疎い年少の相続人を言葉巧みに言いくるめたり、圧をかけたりして、極めて不公平な内容の遺産分割協議を成立させてしまうことがあります。

相続人全員の実印が押された遺産分割協議書が作成されてしまうと、後でそれを覆すのはほぼ不可能です。

他の相続人が作成した遺産分割協議書を見せられたときは、安易に実印を押すことなく、相続に詳しい人に相談されるのが賢明です。

当センターでは、遺産分割協議書の作成や、相続の話し合いのサポート(ADR)もお手伝いできますので、お困りの方はぜひご相談ください。

孫が叔父や叔母と争った事例

親の介護について兄弟姉妹間でもめることがありますが、ときに、その兄弟姉妹の子どもが紛争に巻き込まれることがあります。以下ではそんな事例を紹介します。


ひとみは、小さいころからお祖母ちゃんっ子だった。父母は共働きで忙しかったことから、近所に住む母方祖母の家に入り浸っていたのだ。小学校のころも、学校が終わると直接祖母の家に帰り、おやつを食べたり、祖母の話し相手になったりして数時間を過ごし、夜、母親の帰宅時間に合わせてひとみも帰宅する毎日だった。

高校生になる頃には、以前のように祖母宅に入り浸ることはなくなったが、祖母も70代後半に差し掛かっていたため、パソコンの操作が分からないとか、スマホの使い方を教えてほしいとか、重たい買い物につきあってほしいなど、ひとみが手伝ってあげることも増えてきた。

しかし、就職と同時に、ひとみは他県に住むことになった。これまで、月に何回かは祖母に会っていたが、就職後は数か月に1回会えればいい方だった。ひとみは仕事が楽しく、夢中で働いていたが、ある日、母が急死した。まだ55歳と若かったが、突然の脳梗塞で帰らぬ人となったのだ。そして、その半年後、祖母から手紙が届いた。その手紙には、一緒に住んでほしいと書かれていた。

祖母曰く、祖母にとっては娘である母が亡くなってからというもの、一気に体力と気力が低下し、一人暮らしをするのが不安になったが、住み慣れた家を離れて施設に入るのは嫌とのこと。祖母は資産家で、自宅は母屋と離れがある邸宅であるが、ひとみに離れに住んでくれないかというのだ。

ひとみは迷った。仕事は、会社に相談すれば何とか祖母宅に住みながら通える支社に異動させてもらえる可能性が高い。しかし、叔父や叔母がいるのに自分が出しゃばっていいものか気になったし、そもそも、一緒に住むということは、介護やその後の相続など、色々なことが面倒になりそうだという予感もあった。

しかし、昔から祖母が大好きだったひとみは、何より祖母の気持ちを大切にしたいと思い、転居を決意した。

最初の数年は、祖母もまだまだ元気で、特に問題もなく穏やかな時間が経過した。しかし、祖母に認知症の症状が出始めた頃、暗雲が立ち込めた。

ひとみには、叔父のたかしと叔母の恵子がいた。関係性はいたって普通で、あまり頻繁にやり取りをするわけではないけれど、たまに顔を合わせると和やかに話ができる仲であった。

しかし、祖母の認知症が気になり出した頃、介護方針や今後のことを話し合うために集まった際は、何だか緊張感が漂っていた。

たかしは、開口一番、「これまで、母親のそばにいてくれて助かったよ。このままひとみちゃんに頼り続けるわけにはいかないから、これからのことは僕と恵子で考えるよ。」と言うのだ。

ひとみとしては、認知症が進んだ祖母の面倒を見るのは厳しいと感じていたことから、「もう手を引いていい」と言われた安堵もあった。しかし、手のひらを返したようなたかしの態度に何だか腹が立ったし、そもそも、祖母の気持ちが考えられていない気がした。

そのため、「私も仕事が忙しいからどこまでできるか分からないけど、これまでお祖母ちゃんと同居していたのは私だし、今後も協力できることはしたいと思っている。」と伝えた。

そして、今後の介護方針についてたかしに尋ねたところ、「お母さんの認知症の進み具合にもよるけど、早々に施設に入ってもらった方が安全だと思っている。その際、自宅不動産を売却すれば、大概の施設には入れると思うし、その後の介護資金も潤沢に準備できる。」と言うのだ。

ひとみは、その言葉に反応せざるを得なかった。祖母の自宅を売却するということは、当然に母屋と離れは一緒に売却することになるため、ひとみは住むところを失うことになる。また、いつも祖母から「ひとみちゃん、私は施設には入りたくないの。この家で死にたいの。死んだ後は、この家をひとみちゃんに相続してもらいたいの。」と言っていたのだ。

それをたかしと恵子に伝えたところ、二人の態度が豹変した。「それを心配していたんだ!お母さんをそそのかして、財産を手に入れようと思ってるんだな。これからはひとみちゃんの自由にはさせないよ。」と言うのだ。

ひとみにしてみれば、自由にするもなにも、祖母にお願いされ、転居までしてお世話をしていたのに、今になってそんなことを言ってくるたかしと恵子に嫌悪感しかなかった。

ひとみは、帰宅後、祖母の意思を確認したところ、祖母はやはり「自宅にいたい」という考えであったが、一方で、自分でも認知の衰えを感じており、どこまでひとりで暮らせるか不安なようであった。その上、ひとみに頼ってきた半面、自分の子どもであるたかしや恵子への愛情ももちろんあり、2人に世話になれるなら、それもありがたい話だと思っている節が見てとれた。

ひとみは、これまで、祖母が望むならそばにいてやりたいという気持ちで同居していたが、たかしや恵子が口や手を出そうとしていること、それを受けて祖母もまんざらではない様子であることを目の当たりにして、急に「面白くない」と感じている自分に驚いた。

何か見返りを期待していたわけではないけれど、心のどこかで「将来の相続で見返りがあるはず」と期待していたのかもしれないと気付いた。

祖母の財産は、不動産がほとんであり、預貯金は微々たるものしかないことを知っていた。そのため、将来的には、その不動産を売却し、3人の相続人で3分の1ずつ取得することになる。もちろん、それでいいのだが、現時点でたかしや恵子がひとみをけん制するような動きをしてきたことに腹が立ったのだ。

一方、たかしと恵子は何を考えていたのだろうか。実は、二人は母親の認知症が進んできたかもしれないという情報を受け、二人で話し合っていたのだ。その話し合いの中で、「このままだと、ひとみが母親に自分に有利な遺言書を書かせかねない。」もしくは「ひとみが介護に対して何らかの見返りを求めてくるかもしれない。」という話になったのだ。

結果はどうなったのであろうか。

たかしと恵子に「手を引け」と言われたひとみは、当初は「面白くない」という感情をいただいたものの、争うのも馬鹿らしくなり、祖母の元を去った。一方、たかしと恵子は、相続財産を心配してひとみに「手を引け」と言ったわけだが、きめ細やかに母親の面倒を見るつもりは最初からなかった。そのため、ひとみが去った後、母親はしばらく1人暮らしを余儀なくされた。そして、認知症が進み、いよいよ一人暮らしは難しいとなった段階で、自宅を売却し、本人の意見も聞かずに手ごろな施設に入所させた。

自宅の売却益など、本人の財産はたかしが管理するしていたが、たかしの使い込みが発覚し、たかしと恵子も決裂した。


ポイント1

子どもと孫の立場の違いが争いになることも

このケースでは、ひとみは「孫」であり、たかしと恵子は「子」です。この立場の違いによって、連合が組まれ、少数派の立場が弱くなるということがあります。ひとみは孫ですので、「子」の立場に比べ、祖母との関係が薄いとみなされることもあります。

ポイント2

認知症の進行を機に親族関係が悪化することも

このケースでは、祖母の認知症が進行し始めたことをきっかけにたかしと恵子が口出しをし始めています。このように、身上監護(身の回りのお世話)のみが必要な場合は知らんぷりをしていても、認知症が進み、財産管理が心配になってきた段階で横やりを入れてくる親族がいます。

ポイント3

介護を継続するうちに、知らず知らずに「見返り」を求めがち

ひとみは、当初は純粋に祖母のために同居していたはずですが、いつの間にか相続の際の見返りを期待する気持ちがあったことに気が付いています。長期間にわたる介護の負担は軽くなく、どうしたってそのような気持ちが芽生えてきます。

ポイント4

今日の味方は明日の敵

たかしと恵子は、「対ひとみ」のときは連合を組みましたが、最終的にはたかしと恵子も決裂しています。ひとみという敵が去った後、二人をつなぐものがなくなり、さらに、純粋な気持ちから介護を担っていなかった場合、たかしのような行動に出てしまうのです。

高級介護ベッドの購入で紛糾したケース

佐藤家では、高齢の父親が認知症を患い、日常生活の管理が困難になってきた。母親はまだ存命であったが、既に90歳を超え、認知症の父親の介護をできる状態ではなかった。そのため、三人兄弟の長男、健一が父親の財産と日々の金銭管理を担当することになった。健一としては、日々の生活に終われる中で、これ以上仕事を増やしたくなかったが、長男である責任感もあり、渋々役割を買って出ることにした。

健一は経済的に厳格で、父親の資産を保守的に管理していた。彼は、父親の貯金を使うことに対して非常に慎重で、父親の介護に関する出費も最小限に抑えようとした。これに対して、三男の英輔は、父親により良い介護を受けさせるためには、もっとお金を使うべきだと主張した。英輔は、高品質の介護サービスやリハビリテーション、趣味活動など、父親の生活の質を高めるための出費を提案した。

いつもの健一は、とてもおおらかで心も広い。そのため、自分と考え方が違う人がいても、「違う人間なんだから、違って当たり前」という態度で受け入れることができた。弟たちとの関係においても、長男らしくバランスを取ったり、弟たちのわがままを聞いてやることが多かった。

しかし、父親の介護の問題に関しては、自分自身が大きな犠牲を払いながらやっていることもあり、それに対する批判を許容できなかった。

そもそも、二人の考え方が大きく異なるのは、それなりに理由があった。それぞれ、育ってきた環境や現在の生活状況が大きく異なるのだ。

健一は、高校や大学に進学する際、「後ろにまだ2人いる」という理由で、いつもなるべくお金のかからない選択を迫られていた。高校受験の際は、私立に行くお金はない、必ず公立に合格しなければというプレッシャーがあった。大学に通う際も、奨学金をもらって何とか卒業した。現在の生活においても、妻は専業主婦で子どもが2人いる状況では、いくら健一が稼いだところで、お金はいくらも貯まらなかった。

一方、英輔は、高校から私立にい通わせてもらい、大学の費用も全て出してもらった。まだ結婚しておらず、自分の給料は全部自分で使える身であり、生活に余裕があった。

そんな二人であるため、どうしたって金銭管理にずれが出てくるのだ。

一方で、もう一人の弟、二男の浩二は、父親の財産を将来の相続を見越して保持すべきだと考えていた。浩二は、健一が管理する父親の財産の詳細について常に疑念を抱き、健一に対して財産の明細や支出の報告を求めた。

ある日、英輔は、父親のために高級な介護ベッドを購入する提案をしたが、健一はこれを却下した。これに激怒した英輔は、健一が父親の利益よりも自分の財政的な安全を優先していると非難し、家族会議を開くよう要求した。

家族会議と言っても、集まるのは兄弟3人である。その会議の場で、全員が「お父さんのためには」という枕詞を使ってそれぞれの主張を繰り返した。

すなわち、健一は、「父親には今後何があるか分からない。お金を無駄遣いせず、万が一のときに備えておくのがお父さんのためだ。」と主張する。

一方、英輔は、「お父さんの財産を考えると、そんなに節約しなくても将来はそんなに心配ではない。むしろ、今の生活をより快適にしてあげることがお父さんの幸せにつながる。」と主張。

そして、二男の浩二は、「お父さんは認知症なんだから、優先すべきはこれから先の人生が長い僕たちじゃないかな。お父さんもそれを望んでいると思うよ。」と相続財産を守る方向を示唆。

 

家族会議という名の3人の言い合いは、紛糾して終了した。当たり前である。それぞれが自分の主張を言い合うだけで、そこには何の基準や調整軸もないのだ。

物別れに終わった後、英輔は自費で父親に高級ベッドを購入した。しかし、そのベッドを使用させまいとする健一との間で、ひと悶着あった。

このように、一事が万事、父親のことを何か決める必要がある度に、3人は互いにそれぞれの主張を繰り返し、紛争性を高めていった。


ポイント1

渋々介護を担っているものは不満に敏感

「自分が一番お世話になったから」、「自由な時間があるのは自分だから」、そんな理由で前向きに介護に取り組める場合はいいのですが、「長男だから仕方がない」、「本当は負担が重いけど、誰もやらないから仕方がない」そんな気持ちで介護を行う人は、周囲のちょっとした批判や非協力的な態度にとても敏感です。

この事例の健一も渋々介護を担っていることもあり、考え方の違う英輔の言葉が非難のように受け取られ、柔軟に考えることができなくなっています。

ポイント2

過去の養育が介護に影響する

相続の際、被相続人である親にどれだけお金をかけてもらったかで争うことがあります。例えば、長男は留学をさせてもらい、結婚の際、お祝い金もたくさんもらった。一方、弟である二男は公立の高校を出ただけで、結婚もまだしていないという場合に、「お兄ちゃんは散々お金をかけてもらったんだから、相続は自分が多めにもらいたい」などといった主張です。

多くの場合、親がえこひいきした結果ではなく、それぞれの子どもの生き方の違いだったりするのですが、当事者にとっては、金銭的な差異が気になり、不平等な気がしてしまうのです。

今回は、まだ相続には至っていませんが、介護も同様に「親にこれだけしてもらった」という感覚が介護に対する姿勢に影響を及ぼしています。誰しも、「たくさんやってもらった」という感覚があってはじめて、前向きに介護に取り組めるのではないでしょうか。

ポイント3 

生活状況・経済状況の差が紛争を大きくする

介護や相続に限らず兄弟姉妹間では常に互いの経済状況に対する妬みや羨ましさが存在します。

幼少の頃は同じ親のもとで育ち、同じ経済状況の中生活をしているわけですが、その後、どんな仕事に就くのか、誰と結婚するのか、そういったことで大きく家庭環境や経済状況が変わってきます。

そのため、親族で食事会をするときも、少し高級なところを予約すると「あなたのところはお金に余裕があっていいわね」という嫌みを招くことになったり、経済的に恵まれているきょうだいに合わせるのが大変だったりということがあります。

今回の事例でも、長男と三男の経済状況を比べてみると、独り身の三男は自由になるお金が長男に比べて多いと言えます。そうした日常生活における金銭感覚の差が介護の場面で顔を出すことがあります。

 

施設入所で孫が争ったケース

伊藤家では、87歳の祖母芳江が転倒してから介護が必要になり、最近、地元の介護施設に入所した。ようやく入れた施設は、費用が安い代わりに、親族がやらなければならないことがたくさんあった。

例えば、スタッフの人数が十分でないため、施設外に散歩に連れていってくれることもなかったし、病院通いも親族が付き添わねばならなかった。

しかし、芳江は離婚していたため、介護をしてくれる夫はいない。また、一人娘である晶子も既に67歳で病気がちであったため、二人の孫が中心となって介護をしていた。

孫の一人である裕子は定期的に施設を訪れ、祖母の様子を見ていたが、裕子は施設の介護の質に次第に不満を抱くようになった。

ぎりぎりの人数で回しているようで、スタッフは常に忙しそうで、ゆったりと話ができる状況ではなかった。また、老朽化した施設は何とも言えない「臭い」がこびりついていて、滞在していると気が滅入った。

一方、裕子の兄である健太郎は、施設のケアに満足していた。彼は、施設が新しくはないものの、清潔で整頓されていると感じたし、スタッフもてきぱきと動いていて、信頼できる施設だと思っていた。

裕子と健太郎は祖母の入所施設を巡って意見が衝突した。裕子は、祖母の介護の質の向上を求め、必要ならば施設を変更することも提案した。しかし、健太郎は施設の変更は祖母にとってさらなるストレスになると反対し、現状維持を主張した。

裕子にしてみれば、金銭的な余裕が十分にある祖母に、これまで頑張ってきた人生の締めくくりにふさわしい素敵な施設で過ごしてほしいと思っていた。そして、健太郎に対しては、将来の相続(祖母はふたりの孫と養子縁組をしていた)ほしさに施設料をけちっているのではと感じていた。

一方、健太郎にも言い分があった。高齢で怪我をしている祖母を短期間で施設を移動させるのは酷だし、高級な施設に入れてあげたいと思っているのは裕子のエゴで祖母自身は変化を望んでいないと感じていた。

この後、状況はさらに複雑化した。芳江自身も施設に不満を感じ始めたのだ。祖母は裕子に「スタッフが無視している」と訴え、裕子はさらに施設に対する不信感が募った。しかし、この事実を知った健太郎は、祖母の不満が裕子の影響であると考え、裕子に対してさらに怒りを覚えた。

こうした対立が深まる中、裕子は、健太郎の同意なく祖母を退所させ、別の高級老人ホームに入所させた。激怒した健太郎は、その高級老人ホームに現れ、祖母を連れ戻そうとするなど、大騒ぎとなった。

この一件によって、祖母芳江はその高級老人ホームには居づらくなり、結局退所を余儀なくされた。行くところがなくなった芳江は、自宅に戻るしかなく、利用限度額ぎりぎりまで介護サービスを利用し、何とか生活していくことになった。

祖母芳江にとっては、数か月の間に居所を転々とさせられ、また、孫の紛争の様子も目の当たりにし、すっかり心身ともに弱ってしまった。2人の孫は、どちらも祖母のためによかれと思ってやっていたことがもめごととなり、結果として、祖母の心身の健康を害することになってしまった。


ポイント1 

介護方針の違いが紛争をよぶ

裕子と健太郎は、いずれも祖母芳江のために良かれと思って動いており、どちらの考えも間違っているとは言えません。しかし、二人ともが「自分は正しい。相手が間違っている」と考えており、結果として紛争性が高まっています。

ポイント2

関係悪化が疑心暗鬼を招く

裕子は、健太郎は将来の相続において自分の取り分が少なくなることを懸念して施設代を渋っているのではと疑心暗鬼になっています。一度相手に悪い感情を抱いてしまうと、何もかもを悪い方向に考えたり、非難したりしてしまいます。

ポイント3

親族の争いが本人の健康状態を悪化させる

介護は、親族が円満に協力しあってこそ成り立ちます。しかし、その協力関係が崩れ、争いに発展してしまうと、結果として本人の心身の健康を害してしまうことがあります。これが、介護をめぐる親族間の争いの一番悲しい結末です。

4人の兄弟姉妹がいても長女に負担が集中した事例

大阪に住む中村家では、母親の晴美が高齢となり、日常生活のサポートが必要になった。晴美の夫は10年以上前に他界しており、晴美はずっと独居で頑張ってきたが、さすがに90歳を超えると、何かと忘れっぽくなり、日常生活に必要な最低限の動きも困難になってきたのだ。

晴美には四人の子どもがいたが、長女の真理がほぼ全ての介護を行うこととなった。近くに住んでいることが大きな原因だったが、何となく「長女だから」という周囲の圧力も感じていた。真理は仕事を減らし、母のために日々の世話や病院の通院を行っていたが、この状況が家族間の深刻な紛争の原因となってしまった。

真理の下には長男の秀樹と二女の美紀、そして二男の大輔がいた。しかし、秀樹と美紀は、介護の責任を共有する意欲がほとんどなかった。秀樹は仕事が忙しいとの理由で、美紀は自分には介護の経験がないとして、母の世話から距離を置いていた。一方、介護の負担を共有すべきは言うものの、具体的な行動には移らなかった。

そんな状況の中、真理は、心身ともに追い込まれていった。当初は、長女としての責任感や、これまで母に育ててもらった恩返しの気持ちもあり、積極的に介護に取り組んだし、ほかのきょうだいが非協力的でも気にならなかった。

ただ、仕事を減らしたとしても、毎日のように母の家に通うのは体力的にとてもきつかった。その上、仕事を減らしたことで収入が減ったことも大きかった。真理には夫がいたので、家計に困ることはなかったが、そうまでして介護をしているのに、ほかのきょうだいの協力がないのが輪をかけて辛かった。

ある日、真理は家族会議を開き、介護の責任分担について話し合うことを提案した。このままでは、自分の気持ちと体力が崩壊してしまうと感じたからだ。

しかし、この会議は感情的な論争に発展した。秀樹と美紀は、口では、「姉さんに負担ばかりかけて申し訳ない。感謝している。」というものの、具体的な協力を依頼するととんでもないことを言い始めたのだ。

すなわち、母親の介護のために仕事を減らしたようなことを言っているが、もともと仕事が辛いから辞めたいと言っていたはずだとか、真理はその分母親から金銭的な援助を得ているのではないかとか、そういったことを言い始めたのだ。

それを聞いて、真理は我慢の限界がきた。普段穏やかな真理であるが、弟や妹の身勝手な想像に耐えられなかったのだ。真理は、感情をコントールできず、自分でも驚くような声でまくしたて、そして涙も止まらなかった。

その一件以来、真理は孤立し、弟や妹と連絡を取らなくなった。そうは言っても、だれも母を介護する者がいないため、結局のところ、真理が1人で支えざるを得なかった。そんな中、真理はADRの存在を知り、申し立てるに至った。


ポイント1

きょうだいが多ければいいという訳ではない

この事例では、4人もきょうだいがおり、介護や金銭の負担を分担すれば、ひとりの負担が減らせるようにも思われます。確かに、円満に話合いができれば、負担の分散が可能ですが、一度もめてしまうと、きょうだいが何人いても関係がなかったりします。

ポイント2

最初に役割を買ってでた人の負担が続く

親の介護が始まったとして、そのタイミングで家族会議を開き、しっかりと役割分担を話し合える家族というのはあまりありません。

多くは、近くに住んでいるもや、手が空いているものが「とりあえず」ということで介護を開始します。しかし、その役割がいつの間にか固定してしまい、分担をお願いすると、「介護に不慣れ」というような理由で押し付けられたりするのです。

ポイント3

孤立した者が悪者扱いされがち

親族間の紛争は、常に複数の争いになっていることが多いものです。例えば、2人きょうだいの場合、常に1対1のように思われますが、周囲にいる叔父叔母や祖父母などが、「どちらかというと〇〇寄り」といった援軍になることも多かったりします。そうした複数人が参戦してくる争いにおいて、当たり前ですが孤立すると分が悪く、悪者にされてしまったりします。

ポイント4

お金がもめごとのきっかけになる

この事例でも、仕事を減らしたことで収入が減るというデメリットが長女に生じていました。もちろん、体力的な負担もそうですが、金銭的な負担が大きくなると、感情が悪化し始めます。

法務省主催ADRの日オンラインフォーラムに登壇

代表小泉が法務省主催ADRの日オンラインフォーラム(2023.12.1)に登壇いたしました。

【フォーラムの概要】
本年10月に実施したADR・ODR推進フォーラムの結果も踏まえ、ADR事業者と相談機関との連携の在り方、連携を強化するための方策についての意見交換等を行い、参加者間におけるADR事業者と相談機関との連携の重要性等についての認識を共有するとともに、連携強化のための一層効果的な取組につなげることを目的として開催されました。