父母の異なる兄弟姉妹が相続人のときの相続問題ークリスマスの贈り物 

昔、あるところに仲の悪い夫婦がいました。二人の間には年子であるAさんとBさんという二人の娘がいましたが、Bさんが生まれて間もなく夫婦は離婚し、AさんとBさんは母の元で育ちました。

父は離婚してから養育費も支払わず、二人の娘に会うこともなく、やがてその音信は途絶えました。

Aさんは理性と品位が衣をまとったような才気あふれる女性であり、異性には何の関心もなく独身を通し、多方面で活躍して財をなしました。

Bさんは太陽のように明るく活発な女性であり、良縁を得て一男二女に恵まれました。

AさんとBさんは相性が良く、母亡き後も仲良き姉妹でした。

Bさんと違って、健康面に不安のあるAさんでしたが、還暦を迎えた頃、心臓の病で入退院を繰り返し、みるみる痩せ細っていきました。桜の咲くころ、Bさんが入院中のAさんを見舞ったとき、AさんはBさんに対し、「医師からあと数か月しかもたないと言われている。遺言書を書いて遺産をBちゃんに渡そうと思う。」と弱弱しく言いました。

ショックを受けたBさんは、Aさんに対し、「遺言書なんて縁起でもない。お姉ちゃんはずっとずっと長生きするんだから。遺言書を書いても受け取らないからね。」と言いました。

その3か月後、Aさんは天に召されました。悲しみも一段落した頃、Bさんは夫の協力の下、Aさんの残した財産について相続の手続をすることとなりました。その財産はタワーマンション、預貯金、株式等相当な額になりました。

Bさんは、自分だけが唯一の相続人であり相続手続は簡単に終わるだろうと考え、夫とともにAさんの生まれてから亡くなるまでの戸籍(除籍)謄本を持ってAさんの預金のある銀行に行きました。

すると銀行の担当者から故人の兄弟姉妹が相続人となる場合は故人の両親の生まれてから亡くなるまでの戸籍(除籍)謄本も必要だと言われました。

そこで、Aさんは、母と会ったこともない父の生まれてから亡くなるまでの戸籍(除籍)謄本を市役所から取り寄せ、再度夫とともに銀行に赴きました。

すると、銀行の担当者はBさんから受け取った戸籍関係の書類を持って奥に引っ込みました。しばらくして担当者が現れ、次のような驚くべきことを言いました。

「あなたのお父さんは10年前に亡くなっています。ただ、あなたのお父さんはあなたのお母さんと離婚後、別の女性と再婚し二人の男の子をもうけています。すなわち、Aさんの相続人はBさん以外に二人の異母弟がいます。

ただ故人の兄弟姉妹が相続人となる場合、父母を異にする兄弟姉妹(半血の兄弟姉妹といいます。)の相続分は父母を同じくする兄弟姉妹(全血の兄弟姉妹といいます。)の2分の1なので相続分(法定相続分)はBさんが2分の1、二人の異母弟がそれぞれ4分の1ずつとなります。」

それを聞いたBさんは、取り乱して「二人の異母弟は私たち姉妹との交流は全くなかったどころか、私たち姉妹の存在すら知らないはずです。そんな人たちが姉の遺産を取得するなんておかしいじゃないですか。」と銀行の担当者に詰め寄りましたが、銀行の担当者は「法律がそうなっているので、どうしようもない。ただBさんにだけ遺産を相続させる旨の遺言書があれば別ですが。」と答えました。

このときBさんはAさんが遺言書を書くと言ったのを無理やり止めさせたことを心底後悔し、銀行の担当者に「いったいどうやって二人の異母弟を探し出すんですか。」と力なく尋ねました。

すると、銀行の担当者は、「二人の異母弟の所在は判明しています。」と言いながら、おそるおそるタブレットをBさんとその夫に見せました。タブレットの画面には過去のニュースサイトが映りだされており、そこには兄弟が連続強盗殺人容疑で逮捕されたことが載っており、容疑者の名前と年齢が二人の異母弟と完全に一致していました。ショックを受けたBさんは夫に抱えられて帰宅し、相続手続は止まったままになりました。

その年のクリスマスの日、夫と3人の子どもたちは明るく朝からケーキ作りをしていましたが、Bさんの心はどんよりとした雲に覆われたままでした。昼ころ、玄関のチャイムが鳴りました。Bさんがドアを開けると郵便配達員が立っており、「B様へA様からの郵便物です。」と言って封筒を差し出しました。一瞬、エッ!と思ったBさんは「Aは私の亡くなった姉です。その郵便は姉の名を騙る不逞の輩が詐欺目的で送りつけてきたものに違いありません。」ときっぱりと言いました。すると郵便配達員は優しく落ち着いた口調で次のように話し出しました。

「これは或る民間会社が行っている『将来郵便』というサービスです。お客様が10年後までの指定した日に自分や大切な人に手紙を届けてもらうためのサービスです。その会社が然るべき時に預かっていたお客様の手紙を配達日を指定して郵便局に託し、お客様が希望した日に手紙が配達されるサービスです。この郵便物はA様が今年の4月にクリスマスの日を配達日に指定してその会社に預けた手紙です。」

そう言われれば、郵便物の宛先や宛名、差出人の名前は見慣れたAさんの字でした。Bさんは胸がいっぱいになりながら郵便物を受け取り、夫や子どもらが見守る中で開封しました。中には2枚の手書きの便箋が入っていました。

1枚目の便箋

「愛するBちゃん、私は来年まで生きられそうにないの。だから私はあなたが私の相続で困らないように遺言書を書こうと思ったの。

でもあなたが受け取らないと思って、クリスマスの日に遺言書を届けようと思ったの。たまたま同じ病院に入院している女性の弁護士さんと仲良くなって、その人に遺言書の書き方を教えてもらったの。

その人の名はあの小鳥遊心春(タカナシコハル)先生よ。そう多くの困っている人たちに救いの手を差し伸べてきた先生でマスコミに何度も特集が組まれたことのある先生よ。小鳥遊先生はBちゃんの力になると言ってくれているの。

小鳥遊先生はこの手紙をBちゃんが受け取る頃には退院しているはずよ。事務所の連絡先を書いておくので同封した遺言書を持って小鳥遊先生の処に急ぎなさい。」

2枚目の便箋は全財産をBさんに相続させる旨の遺言書でした。

2枚の便箋を抱きしめて泣いているBさんに夫と3人の子どもたちが声をかけました。

「お姉ちゃんからの最高のクリスマスプレゼントだね。」


コメント

故人の異父兄弟(姉妹)や異母兄弟(姉妹)が相続人となっている遺産分割協議は極めて難航するのが常です。それは兄弟姉妹でありながら相続が始まって初めてお互いの存在を知ることが珍しくなく、故人と父母を同じくする兄弟姉妹は故人と疎遠もしくは故人の存在そのものを知らなかった半血の兄弟姉妹(父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹)が遺産を相続することに納得ができないからです。

一方、半血の兄弟姉妹から見れば、法律に沿って遺産を相続することのどこが問題なのかという気持ちがあるからです。このような場合、あくまでも、冷静沈着に法律に従って遺産分割協議を進めるように努めるべきですが、なかなか難しいといえます。やはり故人が遺言を残すのが一番良い解決策といえるのではないでしょうか。

残念ながら遺言書がなかったという場合、裁判所で争うのではなく、ADRによる調停で遺産分割協議をすることも可能ですので、ぜひご活用ください。


プチ情報

文中「ある民間会社が行っている『将来郵便』というサービス」とありますが、公益財団法人日本郵趣協会がタイムカプセル郵便という名称で同種のサービスを行っています。配達そのものは郵便局が行います。ただし、利用者殺到のため現在新規受付はしていないようです。

公益財団法人日本郵趣協会「タイムカプセル郵便

また特定非営利活動法人「みらいぽすと」も同種のサービスを行っています。ービスの具体的な内容は同法人にご確認ください。

特定非営利活動法人「みらいぽすと

再婚家庭が気を付けておくべき相続問題

Aさんは太陽のように明るく、影のない女性です。そのためか、Aさん自身は影のある男性についつい惹かれてしまいます。

ある日、Aさんが勤めている会社にBさんが入社してきました。Bさんは何となく憂いのある男性でした。Aさんが人づてに聞いたところでは、Bさんは女手一つで育ててくれた母を亡くしたばかりであり、天涯孤独の身であるとのことでした。AさんはBさんの影の正体が分かった気がしました。

しかし、AさんがBさんの影の本当の正体を知ったのは、このときから50年以上経ってからでした…。


さて、Aさんは自然を装ってBさんに近づき、二人の交際が始まりました。でも付き合って半年過ぎてもBさんはAさんの手も握りません。

Aさんは思い切って自分からBさんと手を繋ぐようになりましたが、さらに半年過ぎたのですが何の進展もありません。

我慢ができなくなったAさんが「どうしてわたしの気持ちがわからないの!バカ!」とBさんを責めました。

すると「実は女性と交際するのはAちゃんが初めてなんだ。何をどうしていいのか全くわからないんだ。」とBさんは恥ずかしそうに告白しました。それを聞いたAさんは、より一層Bさんのことが愛おしくなりました。

そこからは完全にAさんのペースです。2人はめでたく結婚し、2人の女の子が生まれました。家族4人での幸せな暮らしはあっという間で、2人の娘も巣立っていきました。


そして、AさんとBさんの結婚生活が40年を過ぎたころ、久しぶりに家族4人が揃った食事の席で、Bさんは厳重に封印された箱をテーブルの上に置き、こう言いました。

この箱を書斎の僕の机の引出しの中に入れておくから、僕が死んだら開けておくれ


数年後、Bさんは天国に召されました。葬儀の後、一人帰宅したAさんは例の箱のことを思い出し、娘たちに「明日開けよう。」と連絡しました。

翌日、Aさんのところに2人の娘がやってきました。2人の娘が書斎のBさんの机の引出しから箱を取り出し、「どんな宝物が入っているのかしら。」、「帯封の付いた札束かしら。純金のインゴットかしら。」などと言いながら食卓のテーブルの上に箱を置きました。

Aさんは2人の娘が見守る中、ゆっくりと封印を解いて箱の蓋を開けました。一番上には表に大きく太い字で「堪忍」と書かれた封筒が入っていました。その封筒を開けると中には手紙が入っていました。その手紙には以下のような驚くべきことが書かれていました。

「Aちゃんごめんなさい。僕は嘘つきです。実は君との結婚は僕にとって2度目の結婚なんだ。僕は大学1年生のとき同級生の女性と恋に落ちて学生結婚をし、男の子にも恵まれました。でも、卒業までに離婚し、息子は彼女が引き取った。結婚生活に失敗したトラウマにより僕は女性が苦手な暗い男になった。

でもAちゃんと出会って徐々に気持ちが明るくなってきた。だけどAちゃんに嫌われるのが怖くて本当のことが話せなかった。ずっと隠していて本当にごめんなさい。

そして、Aちゃんがこの手紙を読んでいるということは僕は死んでいるんだよね。僕の相続手続で必要だと思うので、前の妻や息子に関する資料をこの箱の中に入れとくね。本当にごめんなさい。」

Aさんが箱の中をさぐるとBさんの前妻と息子が写っている写真や前妻との婚姻届けのコピーや前妻との手紙など見たくもないものが雑多に入っていました。

すっかり混乱してしまったAさんを見た2人の娘は「なんなのこれは!私たち家族に災いをもたらすパンドラの箱だわ。」と言いました。

Aさんが箱の中に入っていた物をあらかた取り出すと箱の底には表に小さく細い字で「希望」と書かれた封筒が入っていました。

おそるおそるAさんが封筒を開けると中にはBさんの遺言が記載された公正証書の写しが入っていました。


コメント

転籍の手続きをとり、本籍地を従前と異なる市区町村に変更した場合、従前の戸籍で除籍されていた人物は新しい本籍地の戸籍には記載されません。

また、従前の戸籍に記載されていた内容がそのまま新しい戸籍に移記されるわけではありません。このため結婚にあたって、相手の婚姻歴の有無や子どもの有無を確実に知るためには転籍前の戸籍も見せてもらう必要があります。

今回の事例で、Bさんが婚姻歴や前妻との子の存在を隠すために転籍の手続きをしたのかどうかは不明です。しかし、兎にも角にも、Aさんは相続手続をするため、Bさんの生まれてから亡くなるまでの戸籍(除籍)謄本の交付を受ける必要があります。

生まれてから亡くなるまでの戸籍謄本の話

そうすると、すぐにBさんの離婚歴や前妻との子の存在がAさんにばれてしまいます。おそらくBさんはずっと隠していた秘密が確実に発覚することを予測し、謝罪の手紙と前妻と息子に関する資料を箱の中に入れておいたのでしょう。

しかも、Bさんの秘密をAさんが知っても、あの世にいるBさんはAさんから責められることもありません。なんということでしょう。

さて、故人の相続人が①配偶者、②故人と配偶者との間の2人の子(Aさんと2人の娘)、③故人と先妻との間の1人の子(初婚の妻との間の長男)の場合、相続分(法定相続分)は配偶者が2分の1、3人の子が6分の1ずつとなり、4人の相続人(法定相続人)の間で遺産分割協議をすることになります。

そして、故人の配偶者やその子どもは、先妻の子との交流がないことが多く、全く面識のない母違いの兄や姉と遺産の分け方を決めなければなりません。穏便な話し合いができるんだろうか、おっかない人だったら嫌だななどと不安な気持ちに陥りがちです。

このような事態を避けるため最も有効な方法はBさんが行ったように父親が遺言を残すことです。

もっとも、Bさんが遺言を残したことにより遺産分割協議をする必要がなくなりましたが、Bさんがどのような遺言をしたのかは不明です。思うに「希望」の文字が小さく細かったことから先妻の子にも何かしらの財産を相続させる旨の遺言をしたのではないかと思われます。

臨終婚ー超高齢親の再婚に伴う相続トラブル


Aさんは東北の小都市に住む資産家であり、妻と二人で敷地300坪の自宅で穏やかに暮らしていました。

Aさん夫婦には東京に住む一人娘のBさんがいました。Bさんはバツイチで、二人の娘がいましたが、いずれも親権者となった元夫と暮らしており、自身は上場会社の役員として忙しい日々を送っていました。

Aさんの自宅の隣にはAさんが貸している借家があり、花屋を営む花好きの夫婦が二人の息子と一緒に住んでいました。二人の息子はいずれも地元の企業に就職し、結婚を機に家を出て社宅で暮らすようになりました。

その後、花屋の夫婦の夫が亡くなり、花屋も畳むこととなり、借家には妻のCさんが一人残されましたが、二人の息子たちが妻や孫を連れてよく遊びにくるため寂しくはありませんでした。

Aさんが傘寿を迎えた頃、Aさんの妻が亡くなりました。四十九日の法要を終えた後、Bさんは実家の隣に住むCさんに対し、

「これから父は一人暮らしとなります。もし父に何かありましたらこちらに連絡をお願いします。」

と言ってBさんのスマホの電話番号を書いた紙を渡しました。

 

Bさんは、母が亡くなってから半年くらいの間は月に一度の割合で、Aさんの様子を見るために半日かけて列車を乗り継ぎ実家に帰っていました。

しかし、会話も弾まず、だんだん実家に帰るのが億劫になってきました。

あるときAさんがBさんの面前で大小入り混ぜて粗相をしたため、Bさんは、その始末をしながらバリキャリの自分がなんでこんなことをしなければならないんだと思い、以後、Aさんが亡くなるまで実家に帰ることはありませんでした。

一方、CさんはAさんのところに春になるとイベリスの花を持っていき、秋になるとピンクのデンファレの花を持っていき、冬になると風邪予防に林檎を持って行きました。

BさんもAさんからの電話でAさんがCさんから花や林檎を貰っていることを知っていましたが、Aさんからの電話を鬱陶しく思っていたため、うわの空で聞いていました。

そのため、Cさんの行為に深い意味があるなどとは露ほどにも思っていませんでした。

また、Bさんの電話での話し方から、AさんはBさんが自分を疎ましく思っていることが容易に分かったため、実家に顔を出して欲しいとはとても言えず、孫たちにも長い間会っていませんでした。

Aさんは、子や孫が遊びに来るCさんを羨ましく思い、Bさんに嫌われている我が身を悲しみ、夜、枕を涙で濡らすこともありました。

やがて月日は流れ、Aさんは米寿を迎えました。そんなある日の午前5時、突然、CさんからBさんのスマホにAさんの死を知らせる電話がかかってきました。

聞けば、前日の昼過ぎ、Cさんは庭先で倒れているAさんを見つけて救急車を呼び病院まで付き添ったこと。

夕方になってAさんの容態が急変したため、Cさんは病院に泊りAさんの回復を祈るも未明に亡くなったとのことでした。

Bさんが布団の中で眠い目を擦りながら取り急ぎ礼を言ったところCさんから耳を疑うような言葉が返ってきました。

妻として当然のことをしたまでです。

びっくりしたBさんは布団から這い出し、顔も洗わず、点在するシミをコンシーラーで消すこともせず、すっぴんのまま家を飛び出し、列車を乗り継ぎ、昼過ぎになってようやくAさんが入院していた病院にたどり着きました。

Bさんは霊安室のAさんに手を合わすのもそこそこに病院中隈なくCさんを探し回ったところ、談話室でニコニコ笑ってテレビを見ているCさんを見つけました。

そこでBさんがCさんから聞いた話によると、CさんとAさんの関係は世間話をする程度であり、Aさんを男性としては見ていなかったこと。

ただ、Cさんと話をするときのAさんの目が初めて恋をするときの少年のような熱い眼差しであったのが印象に残っていることでした。

そして、1か月前、突然、Aさんから、親しくしてくれたお礼としてCさんに遺産の半分をあげたい、将来、二人の息子さんに家でも買ってあげればと言われ、いつ市役所に出してもいいよと言ってAさんの署名のある婚姻届の用紙を渡されたことでした。

Aさんの話では、婚姻届の証人欄の署名はディサービスに行ったとき、そこに来ていた老夫婦に頼んで書いてもらったとのこと。

Cさんは、Aさんの気持ちのこもった婚姻届の用紙はいつも大事に持ち歩いていたといいます。

そして、昨日夕方、Aさんの容態が急変したときAさんの厚意を無にしてはいけないと思い、Cさんは病院を抜け出し、婚姻届の用紙に署名して市役所に提出したとのことでした。

Cさんの話を聞いたBさんは遺産狙いの臨終婚と確信するに至り、「遺産目当てで入籍して人として恥ずかしくないのか。」とCさんを非難しました。

すると、Cさんは「遺産をくれると言ったのはAさんです。婚姻届の用紙もAさんから渡されたものです。私はAさんの思いに応えてあげたのです。それが何か問題でも。」と反論し、Bさんを挑発しました。

当然、Bさんの怒りは沸点に達しました。ちょうど談話室のテレビから女将さんに扮した女優がCMで「そこに愛はあるんか?」と語りかけていました。BさんはCさんを睨みつけ「あんたのやってることは後妻業と同じだ!そこに愛はあるんか!」と罵倒しました。

するとCさんは「それはこっちのセリフです。ずっと実家に帰らず、年老いたAさんを放置したあなたこそ、父親への愛はあるんですか!どうなんですか!」と力強く言い返しました。

弱いところを突かれたBさんは言い返す言葉が見当たらず「うー、うー。」と呻くばかりでした。

それを見たCさんはBさんに向かって「『ぐう』の音も出ないといったところかしら。」と勝ち誇ったように言いました。

後日、Bさんは知りました。イベリスの花言葉が「初恋の思い出」、「甘い誘惑」であり、ピンクのデンファレの花言葉が「官能」、「誘惑」であり、林檎の実に隠された言葉が「誘惑」と「後悔」であるということを。


コメント

夫婦の一方もしくは夫婦の双方が亡くなる直前にする婚姻を臨終婚といいます。

そして、相続において紛争が生じるのが余命いくばくもない病者と健康な者との臨終婚であり、およそ結婚生活を送ることは想定されず、健康な者は婚姻後間もなく病者の遺産を取得することになります。

具体的には故人の相続人が配偶者と故人の子どもの場合、配偶者の相続分(法定相続分)は2分の1、故人の相続人が配偶者と故人の父母の場合、配偶者の相続分は3分の2、故人の相続人が配偶者と故人の兄弟姉妹の場合、配偶者の相続分は4分の3となります。

このため、親と疎遠になっていた子どもが、親が亡くなった後に親の新しい伴侶の存在を知り、遺産をめぐって泥沼の争いが生じることがあります。

確か酒造メーカーの昔のテレビCMのコピーに「恋は遠い日の花火ではない」というのがありましたが、老いた親を疎ましく思って距離を置いていると、老親が心の拠り所を身近な異性に求めて新しい伴侶にしようとすることがあります。

周囲の者がそのことを知ったとしても止めることはしないでしょう。そんなことをしたら馬に蹴られてしまいます。

純粋な愛の証としてなされる臨終婚も現実に存在します。ただ、子どもであれば親に的確な助言をすることもできます。そのためにも親と離れていても交流を続け、親の交友関係を把握することが大切といえます。

亥神家の一族 子どものいない夫婦の相続は要注意


日本の山間部の風光明媚な猪籠草村(うつぼかずらむら)の湖畔に亥神家(いのがみけ)という由緒正しき一族が住んでいました。

大正時代、亥神家の本家の戸主の亥神瓜乃介(うりのすけ)は結婚し、昭和の初めにかけて五男一女をもうけました。これから話すAさんは瓜乃介の五男坊であり、姉の亥乃子(いのこ)と年子であったこともあり、いつも亥乃子から可愛がられておりました。

そんなAさんでしたが戦後まもなく上京し、東京生まれ東京育ちの同い年のB子さんと恋に落ちて結婚し、馬車馬のように働き財をなし、成城に購入した一軒家で夫婦仲良く暮らしておりました。夫婦には子どもはいませんでした。

Aさんは90歳で天寿を全うしました。むろんAさんの両親(瓜乃介夫婦)はとうに亡くなっています。B子さんは、Aさんの相続について自分以外にAさんの兄弟姉妹も相続人になることは知っていました。

ただ、Aさんの兄弟姉妹で健在なのは105歳になる長兄の亥左衛門(いのざえもん)とAさんの葬儀に来てくれた姉の亥乃子だけであり、他の男兄弟3人は既に他界していました。

B子さんは自分以外の相続人は亥左衛門と亥乃子だけであり、老い先短い亥左衛門が夫の遺産についてとやかく口を出すことはあるまい、亥乃子も葬儀のときB子さんにとてもやさしく接してくれたので、夫の遺産をよもや分けて欲しいなどと言うまいと楽観視していました。

そもそも、夫名義の成城の一軒家も多額の預金も夫婦で頑張った成果だから、すべて自分が相続しても誰からも文句は出まいと思っていました。

しばらくして、B子さんは亥左衛門や亥乃子と相続の話をするために何十年ぶりかに猪籠草村を単身訪ねました。明治時代に建てられた亥神家の広大な屋敷はそのまま残っており、亥左衛門一家の四世代が住んでいました。

B子さんが屋敷の廊下を歩きながら窓の外の湖を見たとき、ふと昔Aさんと見た映画を思い出しました。

その映画は名探偵金田一耕助が湖畔にそびえる屋敷で起こった連続殺人事件を解決するというものであり、頭部をピッタリと覆う白いゴムマスクを被った佐清(スケキヨ)という男が湖から逆さに両足を突き出して死んでいる場面が強烈に印象に残っていました。

亥左衛門は遠くから来たB子さんをねぎらうために沢山の御馳走と地元の美酒を用意してくれました。

しかし、ご機嫌になったB子さんがAさんの遺産を単独で相続したいと話したところ亥左衛門の顔色が一変しました。

亥左衛門はB子さんに対し、次のように滔々と語りました。

「末弟は亥神家の人間だ。末弟の財産は本来亥神家のものだ。B子さんがすべて相続したら、B子さんが亡くなった後、亥神家の末弟の財産はB子さんの一族のものになってしまう。こんな不合理は認められない。

それに、末弟の相続人は他にもたくさんいる。亡くなった3人の弟にはそれぞれ3人の子がいる。この9人の甥や姪も末弟の相続人(代襲相続人)だ。9人のうち6人は北は稚内から南は西表島まで全国に散らばっており、残りの3人はコンゴ、キルギス、ボリビアにいる。

さらに父の瓜乃介は艶福家であり、6人の愛人との間に合計20人の子をもうけた。この20人の子は自分や亥乃子や末弟の異母兄弟であり、いずれも末弟の相続人となる。20人の子のうち既に亡くなっている者がいれば、その者の子が相続人(代襲相続人)となる。しかも、困ったことにこの20人の子の消息が全くわからんのだ。」

B子さんは亥左衛門の話を聞いているうちに徐々に絶望的な気持ちになり、酒の酔いも手伝って意識が遠のき、朦朧とした状態のまま亥左衛門の家人らに抱えられて薄暗い奥座敷で寝かされました。

一方、亥乃子は一日の終わりのルーティンとしてエイジングケアのため韓国から取り寄せた目の部分がくり抜かれた白色のフェイスパックをしていました。亥乃子はB子さんの様子を伺いに奥座敷を覗き込みました。襖を開ける音で目覚めたB子さんの視界には目玉がギラギラ光る真っ白い面を被った人間の姿が飛び込んできました。驚愕したB子さんは「ス、ス、スケキヨ」と叫んで気を失ってしまいました。


コメント

子どものいない夫婦の一方が亡くなり、故人の両親や祖父母も既に他界している場合は、故人の配偶者と故人の兄弟姉妹が相続人となります。

そして、配偶者が遺産の4分の3を取得し、残りの4分の1を故人の兄弟姉妹で分けることになります。兄弟姉妹の中に既に亡くなっている人がいれば、その人の子(故人の甥や姪)が相続人(代襲相続人)となります。

なお、相続人が兄弟姉妹の場合、代襲相続は一度のみであり、兄弟姉妹の子も亡くなっている場合は、兄弟姉妹の子の子(孫)が相続人となることはありません。また、故人の異母兄弟(姉妹)や異父兄弟(姉妹)を半血といい、故人(被相続人)と父母を同じくする兄弟(全血といいます)の半分の相続分となります。

したがって、故人に兄弟姉妹がいれば故人の配偶者が相続手続を進めようとしたとき、故人の兄弟姉妹やその子らとの間で相続についての話し合いをせざるを得なくなり、多くの時間と労力を要し、ときには耐え難いストレスを感じることとなります。

実際、故人の配偶者が親戚づきあいもなければ会ったこともない故人の兄弟姉妹やその子らと相続について長年にわたって争った事例は珍しくありません。ただ、このような事態は極めて簡単な方法で回避することができます。

それは子どものいない夫婦が互いに財産のすべてを相手方に相続させる旨の遺言をすることです。

遺言の効力は絶対です。

相続人全員が同意しない限り遺言と異なる内容の遺産分割をすることはできません。さらに、兄弟姉妹には遺留分(兄弟姉妹以外の相続人には相続財産について一定割合の承継が保障されており、これを遺留分といいます)はありませんので遺言をしたからといって、後で遺留分相当の金銭を請求されるおそれもありません。

当センターでは、遺言書作成のお手伝いも行っておりますので、ぜひご相談ください。

ごん狐じゃなかったのね。遺産分割協議は慎重に!


A子さんには2人の男の子がいました。A子さんが2人目の子を妊娠中、A子さんの夫は職場の新入社員を指導中にその女性とのっぴきならない関係となりました。A子さんは2人目の子を産んで間もなく夫と離婚し、2人の男の子の親権者となり、苦労の末、2人の男の子を育てあげました。

成人した2人の男の子はそれぞれ伴侶を見つけてA子さんのもとを巣立っていきました。この頃、A子さんの両親が相次いで他界し、一人娘であったA子さんは両親から莫大な遺産(時価数億円)を相続しました。

さて、二男はB子さんと結婚し、C子さんが生まれたものの、間もなく二男は若くして病でこの世を去り、B子さんは一人でC子さんを育てていくことになりました。

幼いC子さんは、昔話が大好きで、特に「ごん狐」がお気に入りでした。村の人にいたずらばかりしていた小狐の「ごん」。ある日、いたずらによってある村人に取返しのつかないことをしてしまいます。そして、そのことを悔いて栗や松茸をその村人に届けるようになったというお話です。

一方、女癖の悪い長男は、妻から離婚を求められ、さんざんあがいた末に子どもらの親権者を妻と定めて離婚しました。

長男は、二男が亡くなった後、ときどきB子さんの家を訪ねては勝手に冷蔵庫の中のスイーツを食べたり、ふざけてB子さんのお尻を触ったり、くだらないいたずらばかりしていたのでB子さんやC子さんから鬱陶しがられていました。

C子さんが成人して間もなくB子さんが病気で亡くなりました。その翌年にはA子さんが天寿を全うしました。喪主となった長男はA子さんの葬儀や49日の法要の席で人が変わったかのようにC子さんに優しく接しました。

その後、しばらくして、C子さんを訪ねてきた長男は神妙な顔で「弟が生きていれば、弟は母さんの遺産を相続できたのに、亡くなってはそれもかなわない。それではあまりにも不憫なのでC子ちゃんに1000万円をあげるよ。この書面に実印を押しておくれ。」と言って遺産分割協議書と書かれた書面を差し出しました。

C子さんが実印を持っていないと言うと長男はC子さんの手に5万円を握らせて「これで実印を作って印鑑登録をしておくれ。」と言って、遺産分割協議書と書かれた書面を置いて帰っていきました。

あっけにとられたC子さんは「ごん狐の話みたいだ。」と思いました。これまでC子さんやお母さんのB子さんに嫌がらせばかりしていた長男が急に優しくなったからです。

嬉しくなったC子さんは早速ロースクールに通っている恋人に、ごん狐おじさんから1000万円を貰えることを話しました。

ところが予想に反し恋人は血相を変え「C子ちゃん、君は騙されているんだ。君はれっきとした相続人だよ。お婆ちゃんの遺産の半分を相続できるんだよ。絶対、遺産分割協議書に実印を押したら駄目だ!」と強く言い、代襲相続についてわかりやすく説明してくれました。それを聞いたC子さんは「ごん狐じゃなかったのね。」とポツリとつぶやきました。

コメント

故人(被相続人)の子が故人よりも先に亡くなっている場合、故人の子の子(故人の孫)が相続人(代襲相続人)となります。故人の子(既に亡くなっている)の相続分(法定相続分)が2分の1の場合、孫の相続分も2分の1、孫が2人いればそれぞれの相続分は2分の1のさらに2分の1、すなわち4分の1ずつとなります。これを代襲相続といいます。

狡猾な年配の相続人が相続分以上の遺産を掠め取ろうとし、世事に疎い年少の相続人を言葉巧みに言いくるめたり、圧をかけたりして、極めて不公平な内容の遺産分割協議を成立させてしまうことがあります。

相続人全員の実印が押された遺産分割協議書が作成されてしまうと、後でそれを覆すのはほぼ不可能です。

他の相続人が作成した遺産分割協議書を見せられたときは、安易に実印を押すことなく、相続に詳しい人に相談されるのが賢明です。

当センターでは、遺産分割協議書の作成や、相続の話し合いのサポート(ADR)もお手伝いできますので、お困りの方はぜひご相談ください。

孫が叔父や叔母と争った事例

親の介護について兄弟姉妹間でもめることがありますが、ときに、その兄弟姉妹の子どもが紛争に巻き込まれることがあります。以下ではそんな事例を紹介します。


ひとみは、小さいころからお祖母ちゃんっ子だった。父母は共働きで忙しかったことから、近所に住む母方祖母の家に入り浸っていたのだ。小学校のころも、学校が終わると直接祖母の家に帰り、おやつを食べたり、祖母の話し相手になったりして数時間を過ごし、夜、母親の帰宅時間に合わせてひとみも帰宅する毎日だった。

高校生になる頃には、以前のように祖母宅に入り浸ることはなくなったが、祖母も70代後半に差し掛かっていたため、パソコンの操作が分からないとか、スマホの使い方を教えてほしいとか、重たい買い物につきあってほしいなど、ひとみが手伝ってあげることも増えてきた。

しかし、就職と同時に、ひとみは他県に住むことになった。これまで、月に何回かは祖母に会っていたが、就職後は数か月に1回会えればいい方だった。ひとみは仕事が楽しく、夢中で働いていたが、ある日、母が急死した。まだ55歳と若かったが、突然の脳梗塞で帰らぬ人となったのだ。そして、その半年後、祖母から手紙が届いた。その手紙には、一緒に住んでほしいと書かれていた。

祖母曰く、祖母にとっては娘である母が亡くなってからというもの、一気に体力と気力が低下し、一人暮らしをするのが不安になったが、住み慣れた家を離れて施設に入るのは嫌とのこと。祖母は資産家で、自宅は母屋と離れがある邸宅であるが、ひとみに離れに住んでくれないかというのだ。

ひとみは迷った。仕事は、会社に相談すれば何とか祖母宅に住みながら通える支社に異動させてもらえる可能性が高い。しかし、叔父や叔母がいるのに自分が出しゃばっていいものか気になったし、そもそも、一緒に住むということは、介護やその後の相続など、色々なことが面倒になりそうだという予感もあった。

しかし、昔から祖母が大好きだったひとみは、何より祖母の気持ちを大切にしたいと思い、転居を決意した。

最初の数年は、祖母もまだまだ元気で、特に問題もなく穏やかな時間が経過した。しかし、祖母に認知症の症状が出始めた頃、暗雲が立ち込めた。

ひとみには、叔父のたかしと叔母の恵子がいた。関係性はいたって普通で、あまり頻繁にやり取りをするわけではないけれど、たまに顔を合わせると和やかに話ができる仲であった。

しかし、祖母の認知症が気になり出した頃、介護方針や今後のことを話し合うために集まった際は、何だか緊張感が漂っていた。

たかしは、開口一番、「これまで、母親のそばにいてくれて助かったよ。このままひとみちゃんに頼り続けるわけにはいかないから、これからのことは僕と恵子で考えるよ。」と言うのだ。

ひとみとしては、認知症が進んだ祖母の面倒を見るのは厳しいと感じていたことから、「もう手を引いていい」と言われた安堵もあった。しかし、手のひらを返したようなたかしの態度に何だか腹が立ったし、そもそも、祖母の気持ちが考えられていない気がした。

そのため、「私も仕事が忙しいからどこまでできるか分からないけど、これまでお祖母ちゃんと同居していたのは私だし、今後も協力できることはしたいと思っている。」と伝えた。

そして、今後の介護方針についてたかしに尋ねたところ、「お母さんの認知症の進み具合にもよるけど、早々に施設に入ってもらった方が安全だと思っている。その際、自宅不動産を売却すれば、大概の施設には入れると思うし、その後の介護資金も潤沢に準備できる。」と言うのだ。

ひとみは、その言葉に反応せざるを得なかった。祖母の自宅を売却するということは、当然に母屋と離れは一緒に売却することになるため、ひとみは住むところを失うことになる。また、いつも祖母から「ひとみちゃん、私は施設には入りたくないの。この家で死にたいの。死んだ後は、この家をひとみちゃんに相続してもらいたいの。」と言っていたのだ。

それをたかしと恵子に伝えたところ、二人の態度が豹変した。「それを心配していたんだ!お母さんをそそのかして、財産を手に入れようと思ってるんだな。これからはひとみちゃんの自由にはさせないよ。」と言うのだ。

ひとみにしてみれば、自由にするもなにも、祖母にお願いされ、転居までしてお世話をしていたのに、今になってそんなことを言ってくるたかしと恵子に嫌悪感しかなかった。

ひとみは、帰宅後、祖母の意思を確認したところ、祖母はやはり「自宅にいたい」という考えであったが、一方で、自分でも認知の衰えを感じており、どこまでひとりで暮らせるか不安なようであった。その上、ひとみに頼ってきた半面、自分の子どもであるたかしや恵子への愛情ももちろんあり、2人に世話になれるなら、それもありがたい話だと思っている節が見てとれた。

ひとみは、これまで、祖母が望むならそばにいてやりたいという気持ちで同居していたが、たかしや恵子が口や手を出そうとしていること、それを受けて祖母もまんざらではない様子であることを目の当たりにして、急に「面白くない」と感じている自分に驚いた。

何か見返りを期待していたわけではないけれど、心のどこかで「将来の相続で見返りがあるはず」と期待していたのかもしれないと気付いた。

祖母の財産は、不動産がほとんであり、預貯金は微々たるものしかないことを知っていた。そのため、将来的には、その不動産を売却し、3人の相続人で3分の1ずつ取得することになる。もちろん、それでいいのだが、現時点でたかしや恵子がひとみをけん制するような動きをしてきたことに腹が立ったのだ。

一方、たかしと恵子は何を考えていたのだろうか。実は、二人は母親の認知症が進んできたかもしれないという情報を受け、二人で話し合っていたのだ。その話し合いの中で、「このままだと、ひとみが母親に自分に有利な遺言書を書かせかねない。」もしくは「ひとみが介護に対して何らかの見返りを求めてくるかもしれない。」という話になったのだ。

結果はどうなったのであろうか。

たかしと恵子に「手を引け」と言われたひとみは、当初は「面白くない」という感情をいただいたものの、争うのも馬鹿らしくなり、祖母の元を去った。一方、たかしと恵子は、相続財産を心配してひとみに「手を引け」と言ったわけだが、きめ細やかに母親の面倒を見るつもりは最初からなかった。そのため、ひとみが去った後、母親はしばらく1人暮らしを余儀なくされた。そして、認知症が進み、いよいよ一人暮らしは難しいとなった段階で、自宅を売却し、本人の意見も聞かずに手ごろな施設に入所させた。

自宅の売却益など、本人の財産はたかしが管理するしていたが、たかしの使い込みが発覚し、たかしと恵子も決裂した。


ポイント1

子どもと孫の立場の違いが争いになることも

このケースでは、ひとみは「孫」であり、たかしと恵子は「子」です。この立場の違いによって、連合が組まれ、少数派の立場が弱くなるということがあります。ひとみは孫ですので、「子」の立場に比べ、祖母との関係が薄いとみなされることもあります。

ポイント2

認知症の進行を機に親族関係が悪化することも

このケースでは、祖母の認知症が進行し始めたことをきっかけにたかしと恵子が口出しをし始めています。このように、身上監護(身の回りのお世話)のみが必要な場合は知らんぷりをしていても、認知症が進み、財産管理が心配になってきた段階で横やりを入れてくる親族がいます。

ポイント3

介護を継続するうちに、知らず知らずに「見返り」を求めがち

ひとみは、当初は純粋に祖母のために同居していたはずですが、いつの間にか相続の際の見返りを期待する気持ちがあったことに気が付いています。長期間にわたる介護の負担は軽くなく、どうしたってそのような気持ちが芽生えてきます。

ポイント4

今日の味方は明日の敵

たかしと恵子は、「対ひとみ」のときは連合を組みましたが、最終的にはたかしと恵子も決裂しています。ひとみという敵が去った後、二人をつなぐものがなくなり、さらに、純粋な気持ちから介護を担っていなかった場合、たかしのような行動に出てしまうのです。

高級介護ベッドの購入で紛糾したケース

佐藤家では、高齢の父親が認知症を患い、日常生活の管理が困難になってきた。母親はまだ存命であったが、既に90歳を超え、認知症の父親の介護をできる状態ではなかった。そのため、三人兄弟の長男、健一が父親の財産と日々の金銭管理を担当することになった。健一としては、日々の生活に終われる中で、これ以上仕事を増やしたくなかったが、長男である責任感もあり、渋々役割を買って出ることにした。

健一は経済的に厳格で、父親の資産を保守的に管理していた。彼は、父親の貯金を使うことに対して非常に慎重で、父親の介護に関する出費も最小限に抑えようとした。これに対して、三男の英輔は、父親により良い介護を受けさせるためには、もっとお金を使うべきだと主張した。英輔は、高品質の介護サービスやリハビリテーション、趣味活動など、父親の生活の質を高めるための出費を提案した。

いつもの健一は、とてもおおらかで心も広い。そのため、自分と考え方が違う人がいても、「違う人間なんだから、違って当たり前」という態度で受け入れることができた。弟たちとの関係においても、長男らしくバランスを取ったり、弟たちのわがままを聞いてやることが多かった。

しかし、父親の介護の問題に関しては、自分自身が大きな犠牲を払いながらやっていることもあり、それに対する批判を許容できなかった。

そもそも、二人の考え方が大きく異なるのは、それなりに理由があった。それぞれ、育ってきた環境や現在の生活状況が大きく異なるのだ。

健一は、高校や大学に進学する際、「後ろにまだ2人いる」という理由で、いつもなるべくお金のかからない選択を迫られていた。高校受験の際は、私立に行くお金はない、必ず公立に合格しなければというプレッシャーがあった。大学に通う際も、奨学金をもらって何とか卒業した。現在の生活においても、妻は専業主婦で子どもが2人いる状況では、いくら健一が稼いだところで、お金はいくらも貯まらなかった。

一方、英輔は、高校から私立にい通わせてもらい、大学の費用も全て出してもらった。まだ結婚しておらず、自分の給料は全部自分で使える身であり、生活に余裕があった。

そんな二人であるため、どうしたって金銭管理にずれが出てくるのだ。

一方で、もう一人の弟、二男の浩二は、父親の財産を将来の相続を見越して保持すべきだと考えていた。浩二は、健一が管理する父親の財産の詳細について常に疑念を抱き、健一に対して財産の明細や支出の報告を求めた。

ある日、英輔は、父親のために高級な介護ベッドを購入する提案をしたが、健一はこれを却下した。これに激怒した英輔は、健一が父親の利益よりも自分の財政的な安全を優先していると非難し、家族会議を開くよう要求した。

家族会議と言っても、集まるのは兄弟3人である。その会議の場で、全員が「お父さんのためには」という枕詞を使ってそれぞれの主張を繰り返した。

すなわち、健一は、「父親には今後何があるか分からない。お金を無駄遣いせず、万が一のときに備えておくのがお父さんのためだ。」と主張する。

一方、英輔は、「お父さんの財産を考えると、そんなに節約しなくても将来はそんなに心配ではない。むしろ、今の生活をより快適にしてあげることがお父さんの幸せにつながる。」と主張。

そして、二男の浩二は、「お父さんは認知症なんだから、優先すべきはこれから先の人生が長い僕たちじゃないかな。お父さんもそれを望んでいると思うよ。」と相続財産を守る方向を示唆。

 

家族会議という名の3人の言い合いは、紛糾して終了した。当たり前である。それぞれが自分の主張を言い合うだけで、そこには何の基準や調整軸もないのだ。

物別れに終わった後、英輔は自費で父親に高級ベッドを購入した。しかし、そのベッドを使用させまいとする健一との間で、ひと悶着あった。

このように、一事が万事、父親のことを何か決める必要がある度に、3人は互いにそれぞれの主張を繰り返し、紛争性を高めていった。


ポイント1

渋々介護を担っているものは不満に敏感

「自分が一番お世話になったから」、「自由な時間があるのは自分だから」、そんな理由で前向きに介護に取り組める場合はいいのですが、「長男だから仕方がない」、「本当は負担が重いけど、誰もやらないから仕方がない」そんな気持ちで介護を行う人は、周囲のちょっとした批判や非協力的な態度にとても敏感です。

この事例の健一も渋々介護を担っていることもあり、考え方の違う英輔の言葉が非難のように受け取られ、柔軟に考えることができなくなっています。

ポイント2

過去の養育が介護に影響する

相続の際、被相続人である親にどれだけお金をかけてもらったかで争うことがあります。例えば、長男は留学をさせてもらい、結婚の際、お祝い金もたくさんもらった。一方、弟である二男は公立の高校を出ただけで、結婚もまだしていないという場合に、「お兄ちゃんは散々お金をかけてもらったんだから、相続は自分が多めにもらいたい」などといった主張です。

多くの場合、親がえこひいきした結果ではなく、それぞれの子どもの生き方の違いだったりするのですが、当事者にとっては、金銭的な差異が気になり、不平等な気がしてしまうのです。

今回は、まだ相続には至っていませんが、介護も同様に「親にこれだけしてもらった」という感覚が介護に対する姿勢に影響を及ぼしています。誰しも、「たくさんやってもらった」という感覚があってはじめて、前向きに介護に取り組めるのではないでしょうか。

ポイント3 

生活状況・経済状況の差が紛争を大きくする

介護や相続に限らず兄弟姉妹間では常に互いの経済状況に対する妬みや羨ましさが存在します。

幼少の頃は同じ親のもとで育ち、同じ経済状況の中生活をしているわけですが、その後、どんな仕事に就くのか、誰と結婚するのか、そういったことで大きく家庭環境や経済状況が変わってきます。

そのため、親族で食事会をするときも、少し高級なところを予約すると「あなたのところはお金に余裕があっていいわね」という嫌みを招くことになったり、経済的に恵まれているきょうだいに合わせるのが大変だったりということがあります。

今回の事例でも、長男と三男の経済状況を比べてみると、独り身の三男は自由になるお金が長男に比べて多いと言えます。そうした日常生活における金銭感覚の差が介護の場面で顔を出すことがあります。