Aさんは東北の小都市に住む資産家であり、妻と二人で敷地300坪の自宅で穏やかに暮らしていました。
Aさん夫婦には東京に住む一人娘のBさんがいました。Bさんはバツイチで、二人の娘がいましたが、いずれも親権者となった元夫と暮らしており、自身は上場会社の役員として忙しい日々を送っていました。
Aさんの自宅の隣にはAさんが貸している借家があり、花屋を営む花好きの夫婦が二人の息子と一緒に住んでいました。二人の息子はいずれも地元の企業に就職し、結婚を機に家を出て社宅で暮らすようになりました。
その後、花屋の夫婦の夫が亡くなり、花屋も畳むこととなり、借家には妻のCさんが一人残されましたが、二人の息子たちが妻や孫を連れてよく遊びにくるため寂しくはありませんでした。
Aさんが傘寿を迎えた頃、Aさんの妻が亡くなりました。四十九日の法要を終えた後、Bさんは実家の隣に住むCさんに対し、
「これから父は一人暮らしとなります。もし父に何かありましたらこちらに連絡をお願いします。」
と言ってBさんのスマホの電話番号を書いた紙を渡しました。
Bさんは、母が亡くなってから半年くらいの間は月に一度の割合で、Aさんの様子を見るために半日かけて列車を乗り継ぎ実家に帰っていました。
しかし、会話も弾まず、だんだん実家に帰るのが億劫になってきました。
あるときAさんがBさんの面前で大小入り混ぜて粗相をしたため、Bさんは、その始末をしながらバリキャリの自分がなんでこんなことをしなければならないんだと思い、以後、Aさんが亡くなるまで実家に帰ることはありませんでした。
一方、CさんはAさんのところに春になるとイベリスの花を持っていき、秋になるとピンクのデンファレの花を持っていき、冬になると風邪予防に林檎を持って行きました。
BさんもAさんからの電話でAさんがCさんから花や林檎を貰っていることを知っていましたが、Aさんからの電話を鬱陶しく思っていたため、うわの空で聞いていました。
そのため、Cさんの行為に深い意味があるなどとは露ほどにも思っていませんでした。
また、Bさんの電話での話し方から、AさんはBさんが自分を疎ましく思っていることが容易に分かったため、実家に顔を出して欲しいとはとても言えず、孫たちにも長い間会っていませんでした。
Aさんは、子や孫が遊びに来るCさんを羨ましく思い、Bさんに嫌われている我が身を悲しみ、夜、枕を涙で濡らすこともありました。
やがて月日は流れ、Aさんは米寿を迎えました。そんなある日の午前5時、突然、CさんからBさんのスマホにAさんの死を知らせる電話がかかってきました。
聞けば、前日の昼過ぎ、Cさんは庭先で倒れているAさんを見つけて救急車を呼び病院まで付き添ったこと。
夕方になってAさんの容態が急変したため、Cさんは病院に泊りAさんの回復を祈るも未明に亡くなったとのことでした。
Bさんが布団の中で眠い目を擦りながら取り急ぎ礼を言ったところCさんから耳を疑うような言葉が返ってきました。
「妻として当然のことをしたまでです。」
びっくりしたBさんは布団から這い出し、顔も洗わず、点在するシミをコンシーラーで消すこともせず、すっぴんのまま家を飛び出し、列車を乗り継ぎ、昼過ぎになってようやくAさんが入院していた病院にたどり着きました。
Bさんは霊安室のAさんに手を合わすのもそこそこに病院中隈なくCさんを探し回ったところ、談話室でニコニコ笑ってテレビを見ているCさんを見つけました。
そこでBさんがCさんから聞いた話によると、CさんとAさんの関係は世間話をする程度であり、Aさんを男性としては見ていなかったこと。
ただ、Cさんと話をするときのAさんの目が初めて恋をするときの少年のような熱い眼差しであったのが印象に残っていることでした。
そして、1か月前、突然、Aさんから、親しくしてくれたお礼としてCさんに遺産の半分をあげたい、将来、二人の息子さんに家でも買ってあげればと言われ、いつ市役所に出してもいいよと言ってAさんの署名のある婚姻届の用紙を渡されたことでした。
Aさんの話では、婚姻届の証人欄の署名はディサービスに行ったとき、そこに来ていた老夫婦に頼んで書いてもらったとのこと。
Cさんは、Aさんの気持ちのこもった婚姻届の用紙はいつも大事に持ち歩いていたといいます。
そして、昨日夕方、Aさんの容態が急変したときAさんの厚意を無にしてはいけないと思い、Cさんは病院を抜け出し、婚姻届の用紙に署名して市役所に提出したとのことでした。
Cさんの話を聞いたBさんは遺産狙いの臨終婚と確信するに至り、「遺産目当てで入籍して人として恥ずかしくないのか。」とCさんを非難しました。
すると、Cさんは「遺産をくれると言ったのはAさんです。婚姻届の用紙もAさんから渡されたものです。私はAさんの思いに応えてあげたのです。それが何か問題でも。」と反論し、Bさんを挑発しました。
当然、Bさんの怒りは沸点に達しました。ちょうど談話室のテレビから女将さんに扮した女優がCMで「そこに愛はあるんか?」と語りかけていました。BさんはCさんを睨みつけ「あんたのやってることは後妻業と同じだ!そこに愛はあるんか!」と罵倒しました。
するとCさんは「それはこっちのセリフです。ずっと実家に帰らず、年老いたAさんを放置したあなたこそ、父親への愛はあるんですか!どうなんですか!」と力強く言い返しました。
弱いところを突かれたBさんは言い返す言葉が見当たらず「うー、うー。」と呻くばかりでした。
それを見たCさんはBさんに向かって「『ぐう』の音も出ないといったところかしら。」と勝ち誇ったように言いました。
後日、Bさんは知りました。イベリスの花言葉が「初恋の思い出」、「甘い誘惑」であり、ピンクのデンファレの花言葉が「官能」、「誘惑」であり、林檎の実に隠された言葉が「誘惑」と「後悔」であるということを。
コメント
夫婦の一方もしくは夫婦の双方が亡くなる直前にする婚姻を臨終婚といいます。
そして、相続において紛争が生じるのが余命いくばくもない病者と健康な者との臨終婚であり、およそ結婚生活を送ることは想定されず、健康な者は婚姻後間もなく病者の遺産を取得することになります。
具体的には故人の相続人が配偶者と故人の子どもの場合、配偶者の相続分(法定相続分)は2分の1、故人の相続人が配偶者と故人の父母の場合、配偶者の相続分は3分の2、故人の相続人が配偶者と故人の兄弟姉妹の場合、配偶者の相続分は4分の3となります。
このため、親と疎遠になっていた子どもが、親が亡くなった後に親の新しい伴侶の存在を知り、遺産をめぐって泥沼の争いが生じることがあります。
確か酒造メーカーの昔のテレビCMのコピーに「恋は遠い日の花火ではない」というのがありましたが、老いた親を疎ましく思って距離を置いていると、老親が心の拠り所を身近な異性に求めて新しい伴侶にしようとすることがあります。
周囲の者がそのことを知ったとしても止めることはしないでしょう。そんなことをしたら馬に蹴られてしまいます。
純粋な愛の証としてなされる臨終婚も現実に存在します。ただ、子どもであれば親に的確な助言をすることもできます。そのためにも親と離れていても交流を続け、親の交友関係を把握することが大切といえます。